自動

2016年6月29日水曜日

漫画の種類


■いや、もちろんこういう漫画も全然ありなんですけどね。
ただ私があまり好みでないって話です。

■まぁ、なんというか今まで担当についた編集者さんが
どうやらこのタイプの漫画が好きな人達だったんじゃないかと分かって来て。
そうすると、何を描いても「なんか違う」と言っていた意味が分かってきて。
それならそうと早く言ってよねー!
そんな感じだったのです。
しょんぼり&げんなり。

■さすがに苦手なタイプの漫画を何も言われずに描くことは無いですよ。
まぁ、描け!と言われても
無理!って言いますけど。

自分が好きで読者が面白いと思う漫画を描きます。

■さておき。
3つの種類。
いっこめの悪者を倒してスカッとするタイプ。
ロボットアニメで多いですよね
突然、このロボを操縦出来るのは君だけだ!
そして君が世界を救うのだ!

って、誰や君!
なんで君が選ばれたんや?
冒頭でどこにでも居るごく普通の少年って言ってたやないかーい!
とか思っちゃう。
そうして大抵、悪の方はちゃんと
殴り殺しても良い悪人に設定されるのよね。
殺人が容認される。

とても都合の良い世界で、
主人公に感情移入する人は
日頃の鬱憤を晴らし、ストレスを軽減できて
とても気持ちが良い。

いや、まぁ、それはなんか接待というか
キャバクラとかそういうサービスを受けてるみたいで。
物語としてはどうなの?

■二個目の女の子にモテモテになるのなんては
さらに直球で
モテたい願望を二次元で実現!
ヤッタネ!
みたいな感じで。

■三つ目のカワイイ女の子を眺めるに至っては
更に進んで「孫を見るお爺ちゃん」のレベルになっている。

■恋愛漫画とはこれらはまた違うんですよね。
恋愛漫画も都合の良いことは多いのだけど
そこはまだ現実に起こりうるレベルで留まっている。

恋愛漫画で空から女の子が降って来たりはしないですし。

■なんていうかただ欲望を叶えるためだけのモノになっちゃうのが
どうにも好かんのですわ。

■もちろん物語はいろいろな欲望を叶えたりもするのだけど。
この「いろいろ」ですね。
いろいろな欲望があるってこと。
「嫌な奴を懲らしめたい」
「モテたい!」
だけが欲望じゃないでしょうよ。

この要素が10%くらい入っててもいいんですど
それが100%それだけ、になると
さすがに胸焼けがしてしまうよ、って話です。

■けどやっぱり「それだけで良いよ」って人もたくさんいるわけで。

そしてそういう人ばっかりでもないってのも、そうなのです。

■もっといろいろな漫画を作り出しましょう。
だけど作家の描ける範囲はそれほど広くはありません
しかしその居場所は作家によって人それぞれ。
あだち充は今日も野球漫画を描いています。

でも、まぁ、ストレス社会な現代
そういう甘〜いお薬が求められているのでしょう。


追記:
あ、そっか「面白い」と「気持ち良い」の違いかもしれない。
私は面白い漫画を描きたいのですよ。


極楽京都日記: 夢を叶える物語。 

極楽京都日記: お姫さま女子! 



2016年6月27日月曜日

結果がすべて

■まぁ、描いた通りなんだけど。

過程が良かったかどうかは
成功して初めて
それが本当に価値があったかどうか
分かるんですよね。

■さらに、その時の
その努力に価値が合ったかどうかの判断は
割と適当で
別にしっかり調べてちゃんと効果があったのか、
どの行動がどう意味があったのか、
あったのならばその効率は何%ぐらい有効だったのか、
なんてことはまるで考えてない。

なんとなく
やって良かったはずだ
と思う。

■本当は全然別の要因で成功したかもしれないし
ただ運が良かっただけなのかもしれないけど、
本人は自分が努力をした結果だと思う。

もちろん本人が勝手にそう思うのは別にどうでもいい。
間違ってようが正解だろうが
他の人には何の影響もないからだ。

■そして、
だからと言って
努力しなくてもいい
なんてことはなくて。

なんらかのことをしなければ
成功はしないだろう。

■しかし、
ただただ、失敗した人に向かって
その失敗もいつかきっと何かの役に立つ経験になるはずだよ。
だから、これからもずっと頑張っていこう!
なんて目を輝かせて無責任なこと言う人が
すっごく苦手。

内容が無く
内容の精査が無い
すごくぼんやりとしたものを
絶対そうなのだ、と言い張る。

■絶対確実な成功者の法則みたいなものがあれば
成功者の書く
「私が成功した理由」みたいな本が
毎年何十冊も出版されるのはおかしいからだ。

それらの本は
本当なら全員同じことを言っているはずだが
なぜか、全員違うことを言っている。

■そして、失敗について語った本は少ない。
まぁ、売れないからね。
しかし失敗については、
わりと皆同じことを言う。

■成功の法則はないが
失敗の原因はある。

そして
特に結論には至らないまま、
おしまい!
わー

自分で考えよう〜
極楽京都日記: 思考 

極楽京都日記: 集団創作のパターン 


極楽京都日記: 無意識の条件 


誤字×合検→○合格

2016年6月26日日曜日

【小説】中島らも短編小説コレクション【感想】


偶然ネットで見かけたのだが、
最近出てたヤツで(2016年3月)
未発表の2作が入っているというので買ってみた。

中島らもは大好きで
お亡くなりになられたときは
ずいぶんとショックだった。

読んで見ると、なるほど昔読んだことがある。
凄いオチがある話ではないのだが
凄く良い。
エッセイなどのイメージではくだらないことを
愉快に楽しく書く感じの人だが。
小説は美しい。
もちろん、くだらなくて面白いのは根底にあったりもするのだが。
はぐれ者の悲しさを書く時などはことさら美しい。

未発表の「美しい手」は震えるほどに美しい物語だった。
青春の一端を切り取っただけの話なのだが
読み終わったあとに部屋を飛び出し町をあてど無く彷徨ってしまうほど
美しく。
悶絶してしまった。

あぁ、もうズルイなぁ。
あとがき解説に松尾貴史が書いているのだが
中島らもその人そのものがなんだかとても良かったのだ。
そういうことだ。

売れっ子時代には相手の注文に応え何でも書いたそうだ。
自分の書きたいものではなく、相手の要望に応える物を書いた。
しかし、残っているものはどうしようもなく中島らもの作品として輝いている。

そんな人がもういないなんて。
なんともはや、もったいないねぇ。

しかし、本文中に出てくる豆知識的なこと
結構今でも人に言うときに使ったりしているので
あ、元ネタここだったのか!
驚いたりもした。
にっこり。


各話一行解説
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■美しい手
学生時代映画ばかり見ていた青年の見た白い美しい手。

■”青”を売るお店
文字通り青い物を売るお店、美しい話かと思いきや落語調で最後にキュッとつねられる。

■日の出通りの商店街 いきいきデー
いきいきデーは年に一度誰を殺しても良い楽しい祭りだ。

■クロウリング・キリング・スネイク
昔話に蛇神にみそめられ自らも蛇になってしまう女の話みたいなものがあるが、それの現代版。

■ココナッツ・クラッシュ
椰子の実を頭にのせたまま何十年も修行している僧がいる。

■琴中怪音
滅多に人前ですら弾かないという家宝の琵琶。その音色は名状しがたい美しさ。そこにひとつ謎が。

■邪眼
異国の迷信に惑わせられる外国人の男、はたしてその正体はどちらでもあった。

■EIGHT ARMS TO HOLD YOU
ジョンレノンの未発表曲を買わないかと迫られる落ち目のミュージシャン。

■コルトナの亡霊
観客が途中で全員帰ってしまう映画。つまらないのではなく怖くて。調べてゆくと、誰も最後まで見た者はいない。

■DECO-CHIN
自分の体に異物を埋め込んだりして人体の異形化を楽しむ若者らを横目に、人生に疲れた中年音楽雑誌編集者は衝撃的なバンドと出会う。彼らは本当のフリークスだった。

■ねたのよいー山口冨士夫さまへー
ほぼ自伝的な、らも自身が京都で、ヒッピーくずれとラリって、犬とケンカして、ライブハウスで村八分のボーカル山口冨士夫と会ったりする。

■寝ずの番
落語家の大師匠が死んで、弟子達が集まってお通夜をするが。そこは手練の噺家ども、故人の想い出話でパーティーだ。

■黄色いセロファン
小学生、ギョウ虫検査の黄色いセロファン、僕の好きなあの子もこれをお尻に貼るんやろか。なんて、ほほえましくも美しい。

■お父さんのバックドロップ
お父さんが悪役のプロレスラーの子供、その胸中やいかに。これは憶えていたけど、大人になって読むと感想が変わる。

■たばこぎらい
禁煙、嫌煙ブームが来た頃の落語用のお噺。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こうして並べて見るとその設定だけでも読みたくなってしまいますね。
また数年後読んでみるのも良いかもしれぬ。







2016年6月23日木曜日

民意


まぁ、あれの話。
なんだかテレビのニュースを聞いてはゾッとしていました。
悪いヤツを見つけたからみんなで石を投げようぜ!
なぜならそうするとスカッとするからさ!

こわーい。

■あとは軽々しく「みんな」って言っちゃう人の怖さ。

そういうのを聞く度に
その「みんな」と同じ意見を持っていないことが多いので
その「みんなと違う意見」を言うと、石を投げられるのだな。
そう思ってしまい、ぎゅっと硬く口を閉ざすのです。

反対意見の人は続々と黙っていく。
そもそも反対する人はその事柄に興味がないからね。
なのでますます、自分たちの意見が世の全ての思いなのだ。
なんていう勘違いに至る。

■当然のことながらそれは100%じゃないんですよねー。
「みんなが見ている大人気のテレビ番組」なんかでも
視聴率30%くらいでしょ?
また逆にネットの総意なんかは
更にそれより小さなサイズでしかないのも、しかり。

まぁーなんていうか、
「自分はこう思う!」
と言ってくれれば済む話なんですけどね。
なのに、ひとりじゃ怖いから
「みんなそう言っている」なんて、嘘をついて
ゴマカシて、人のせいにして、
気持ちの良い所だけ得ようとする。

そういうところが気持ち悪い。

■いろんな意見が沢山ある、だと不安なんですかね?
安心するために数を集め一方的に暴力を振るう。
正義の味方に成って日頃の鬱憤を晴らす。

やっぱり皆、戦争がしたいのだな。

こわーい。

■あぁ、ダメですよ。ダメですわ。
こういう皮肉的なことばかり言っていると嫌われてしまう。
なので、黙ろう。
貝のように口を閉じよう。
そうです、あなたの意見が全て正解!
世界中の人はあなたと同じ考えだよ!
拍手喝采雨あられ。
世界はあなたを祝福しているのです。
良かったね〜!
ヤッター!
わーい!


…。

おげげげげげーーー。

がくり。


極楽京都日記: 嘘のつき方 

2016年6月22日水曜日

笑いのセンス


■うーん、なんだろ?
なぜかみんな自分は
「的確な判断が出来る人間だ」
勘違いしている。

それが科学的な問題であれば
「良く分からないから知らない」
と簡単に言うのだけど。

■笑いの良し悪しについては
なぜか講説をぶちまける人が多い。
いや、まぁ「自分はこう思う」
程度ならば良いのだけど。

なぜか、俺がこう思うのだから
それは世の中で普遍的にそうなのだ。
この私の言う基準が世界の指針なのだ!
なぜならば、私がそう思うからだ!
そう思わないオマエは異常だ!
死ねー!

みたいな感じで超怖い。

■なんだろ?
「感情」を理解しているつもりなのだろうか?
他人は自分とは違うことを考えるとは思わないのだろうか?
同じ物に対して全ての人は
同じ喜びを
同じ痛みを
同じ楽しみを
同じくらいの量
感じているなんて
とんでもない勘違いをしているんじゃないだろうか?

そしてその全てが違うこと、
それが個性だ。

なので自分の個性が至上のモノで
それ以外の個性は最低のまがい物だ。
なんて言う人は
超怖いし、面倒臭い。

まぁ、サンプルのひとつとしては面白いけど。
近づきたくはないよなー。

■まぁ、やっぱりひとつにまとめて
答えはひとつにした方が安心だもんねー。
だけどもそれはバカげてる。
もしそのたったひとつの答えがあったとしても
君にそれを決める権利も能力も無いと思うよ。

違うからこそ面白い。

極楽京都日記: 中流人間 


極楽京都日記: 正義の味方! 

2016年6月20日月曜日

友人


同年代ばかりの横の繋がりと付き合うより
縦の年上や年下との交流を広く持った方が
なにかと良いことが多い。

まぁ、年上と友達になるのは難しいかもだけど。
世間話が出来るくらいの知り合いくらいにはなっといた方が
本当助かるのだ。

■でも、中高生くらいだとやっぱり
同世代とだけ付き合ってしまって
むしろ、年上は敵で、年下はバカだ。
みたいなことを思いがち。

しかし、そうすると世間はめくらめっぽう狭くなる。
さらに、その同世代の人全てと付き合っているわけでもないので
近所の同世代とだけ、
人数的には凄く少ない。
少なくて狭い世界が作られる。

そしてその小さな世界で悩み
いともたやすく絶望してしまうのだ。

■だが、その年齢差も歳を取るごとにどんどん寛容になってゆく。
小学生の1歳2歳の差は絶望的に大きな差に感じられるが
30歳を越えてくると
もう10歳くらいほとんど差が無いと感じる。
さらに40歳、50歳となってゆくと
20歳差も30歳差もたいして変わらないものだ。

■いや、それでも年齢の差は絶対だ。
なんて思うのであれば。
あなたは1年ごとに1年分進化していなければならない。
去年に比べてたいして変化がなかったのならば
あなたの年齢は嘘の年齢だ。

それはつきつめれば1日ごとに進化していなければならない。
そんなことは大抵の人ができていない。

年齢なんてのはただの時間の経過に過ぎない。

■では、どうして同世代は話しやすいのか?
同じ体験、同じ経験をしている確率が高いからだろう。
お互いに詳しい説明無しに話が出来る。

楽だ。

■そして、それは同じ趣味を持つ者同士でも可能だろう。
音楽や映画、これらは突き詰めている人同士だと
年齢の差は感じずに付き合うことが可能だ。
同じ映画は知らなくても、
映画の何が面白いかは語れるからだ。

■この間、テレビで20代くらいの「とんねるずの大ファン」だと言う若者が
とんねるずの二人に会って大興奮していた。
「いや、君くらいの年齢だと俺らの全盛期知らないでしょ?」
と聞けば、Youtubeとかで過去の映像もどんどん見ているとのこと。

音楽なんかも若い子が昔の音楽の大ファンだったりもする。
ネットで時間を越えることで、
時代性が無くなって来た。

■同じ体験をしていると会話をするのは楽だ。
楽なのでそこで友達や知り合いになりがちになる。

でも、同じ体験をしなくても
その体験を巧く説明できれば結局のところ同じことになる。

自分の体験している面白さを説明することが
君にはできるだろうか?

■では実験だ。
自分の年齢のプラス10歳年上の自分、
タイムマシンかなんかで出会えた場合
10歳年上の自分と君は
楽しく会話できるだろうか?

もしくは10歳年下の自分
そいつと君は対等に会話できるだろうか?

年齢を狭めて行って
5歳年上の自分
5歳年下の自分
3歳年上の自分
3歳年下の自分
1歳年上の自分
1歳年下の自分

1年差くらいならどうにかなる?
それなら君は1年では何も成長していないことになる。

■本当はそれらの年齢の違う自分は
全員今の自分とは違う。変化しているはずだ。

その変化を楽しめるかどうかだ。
変化しているのなら
それを聞いてみればいい
なぜそうなの?
どうしてそうなった?
今、どんな気持ち?

自分ですら年月が経つと変わる。

でも自分は自分だし。

なんとなく話せる気はする。

つまり年月の差は関係ない。

年齢の差はたいした物ではない。

同年代の自分とは違う他人と話せるのならば
歳の差がある他人とだって適当に話せるはずだ。

未来の自分と話したり
過去の自分と話したり

年齢の違う人と会話をすると
時代を超えて色々な知見を得ることが出来るのだ。

やった方がお得です。

■わかったような、わからないような話ですが。
まぁ、騙されたと思って。

極楽京都日記: 本音トーク 

極楽京都日記: 最近気付いたこと。 

極楽京都日記: リストラの仕方 

2016年6月18日土曜日

なんか怖い絵




怖い絵は理屈で描けなかったりする。
なので、これはそういう物を見たので
メモ的に描いたものなのだ。
実際にそこにあった映像だ。
現実ほど怖い物は無い。
極楽京都日記: 怖い絵 

極楽京都日記: なんか怖いヤツ 

【映画】イミテーション・ゲーム観た

えぇ!?おぉう?
わーーーーッ!!
なんじゃこりゃ!
これ最高の映画じゃないですかー!

わーーー!!!
どてんばたん!
どーーん!

…はぁ、はぁ、はぁ。

というわけで、こんな凄い映画をなぜ誰も教えてくれなかったのだ!
あー!もー!
…はへぇー。



■第二次世界大戦中、ドイツの暗号通信期「エニグマ」
その通信は誰でもがいともたやすく傍受できるのに
その暗号を解読出来ないがためにイギリスは神出鬼没のドイツ軍の攻撃になす術がなかった。

その解読のために国家有数の天才的頭脳の持ち主達が集められた。
その中のひとりがチューリング博士
現在、AIが人間に近づいたかどうかを判別するテスト「チューリングテスト」
その発案者であり、現代のコンピュータの基礎を作った人物でもある。



■まぁ、こんなあらすじを聞くと。
戦争の作戦に頭脳で挑んだ天才の話、っぽいのだけど。
そうでもあるのだけど、それ以上に人間ドラマだった!
そして人生の話だった!

もう心が揺さぶれまくって
涙がぼろぼろ出てしまう。
悲しいのではなく、
人に理解されることの喜びで泣いてしまうのだ。



■頭が良過ぎて、学校では虐められ。
まわりに合わせることができないので、
職場では疎まれる。
正しいことをやっていても、
周囲と同調をしなければ、嫌われ、さげすまされ、
その異質さに苛立つ者から
暴力を与えられる。

彼らがなぜ暴力を振るうのかと言えば
気持ちがスッとするからだ。
異質な者を殴り飛ばすのは気分が良いからなのだ。
つまり暴力とは満足である。

しかし、その満足を得ると
彼らはその異分子に興味を失う。
満足を得るためだけに殴られる。

戦争もそのような物だ。



■そんな流れを踏まえながら物語は進んでゆく。
暗号解読のチームは
仲違いをし、上司の不理解を買い
めちゃくちゃになる。
しかし、理解もあり、人間的成長もあり。
仲間になり、恋もする。
そしてついには成功に至る。

しかし、人生がそう簡単にハッピーエンドで終わらないように。
この物語は続く。
そう、これは実話を元にした物語なのだ。

なんてことだ、なんてこと!

■政府の軍事的な作戦にかかわるのだ。
秘密をどんどんと抱えてゆく。
仲間にも両親にも恋人にも言えない秘密を抱え込む。

孤独を抱く。

彼に必要なものはなんだったのか。

誰もが想像し得なかった人物が、
誰もが想像し得ない偉業を成し遂げる。

全ての人に同じ物が必要なわけではない。
それぞれに重要なものはそれぞれに違う。
それを与え合うのがコミュニケーションなのかもしれないね。



■いやはや、割と人生でのベスト映画にランクインする物語でしたよ。
ヤッタネ!









2016年6月17日金曜日

【映画】オデッセイ観た


■なんとなくダッシュ村のTOKIOの話だと聞いていたので
自然に立ち向かうマッチョな話だと思っていたのだが
違った。

■火星に行くミッションで事故により
置き去れにされる男の奮闘と
それに気づき救出に向かうチームの推進力。

■まぁ出てくるメンバーの全てが基本的に頭の良い人達なのだ。
NASAのメンバーなんて基本、能力の高い人ばかりだ。
その人達だから変な所で悩まないので凄く嬉しい。

よくありがちなバカな奴がパニックで事態を悪化させることや、
自分のことしか考えない低レベルの感動屋が居ないことが
とても良い。



■しかし、そんな人ばかりでも
難問は難問なのだ。
悲しい気持ちになることもある。
しかし、そこはアメリカンなのか
どんな状況でもジョークを言う。
悲しみに暮れる時間は短く、
スパッと次やるべきことに頭を切り替える。


■政治家も出てくるが
彼らも彼らで頭が良い
有益であるならばどんな困難も押しのけて
無理も道理もふっ飛ばして進むパワーがある。
とても素敵。



■実はこの映画ではたぶん意図的に
「孤独」の時間を大幅にカットしている。

「インターステラー」や「ゼログラビティ」では
割とその宇宙での孤独を濃厚に描いていて
私は大好きなのだけど、
一般的には「無限の孤独」には多くの人が耐えられない恐怖を抱いているのだろう。
まぁ、火星に数年ひとりで生活する状況を想像すると恐ろしいのは分かるのだが。

■なので、逆にオデッセイでは
「仲間の繋がり」を描いている。
アメリカンな我らが祖国から。
そして、中国の援助を受け入れられたのは大きな成長だろう。

国の垣根を越えたかのように見えているが、
実はこれ頭の良い人どうしは国とは関係なく繋がれるという話なのだ。

それとは関係無い人はただ「感動物語を供給してくれる人達」を眺めているだけ。


国境は既に無い。
映画好き。音楽好き。アニメ好き。
これらの人達はもう既に国とは関係なく繋がっている。
科学好きなど、学問関係はもうとっくに。

根本的な気持ちが同じなら
国の違いなどなんの障壁にもならない。
同じ国であれど通じ合えない人はいる。

人間なんて根本ではたいして変わらない。
違う国であれ同じように考える人は
驚くほど多くいるのだ。

もちろん、全ての人が繋がるわけではないが、
思っても見ないほど多くの国であなたの気持ちは繋がるものなのだ。

地球を空から眺めてみても
どこにも国境線なんて描いていないのだ。

ちなみに
地球一周:4万km
月までの距離:38万4400km
火星までの距離:2億700万km(2億4,900万km)
はやぶさが行った小惑星:イトカワ3億km










2016年6月15日水曜日

武豊 TAKE YUTAKA

京都駅ビルにある美術館で「武豊展」を見に行った。
競馬騎手の武豊だ。
もう期間は終わっている。



私は特に競馬ファンでも武豊ファンでもないが、
タダ券を貰ったので見に行ったのだった。

展示は写真パネルがほとんどで歴代の乗馬シーンやオフショットなど。
あと映像と優勝カップや馬具などの展示。

それほど大きな展覧会ではなかったが。
なんだか奇妙な感動があった。

だいたい競馬自体が奇妙だ。
乗馬というのが意味不明だ。
動物を操るのだから、
本来はサーカスの猛獣使いのような存在なのだ。
しかもそれでレースをする。
動物を操ってレースをする。
まったくもってバカげている。

F1などの車のレースは理解出来る。
そこには車を操るテクニックがあるだろう。
しかし、馬を操るテクニックってなんだ?
いや、もちろんそういう技術はあるだろし、競馬学校なんてのもあるのだからね。

はてさて、
それはなんだか、
そこには超感覚的な得体の知れぬモノが
当たり前のように横たわっているのが奇妙なのだ。
その奇妙さを、武豊は「なんとなく理解している」のだろう。
そうでなければあのような偉大な記録は樹立できない。

でも、それは超能力的なものでなく。
なんとなく自分でも理解していないモノを
直感的に感知し、言語化の介在を無しに、
直接理解出来てしまう類いのモノなのだろう。

言葉を喋れない赤ん坊の言いたいことを
その母親はなんとなしに理解している。
あの感じだ。

本人にとって、それはそうとしか言えない。
…という当たり前のことなのだろうけど。

やはりそれはとても珍妙だ。

そしてその無いようなものが
まるで在るかのように振る舞われる奇妙さに
我々は感動してしまうのだ。

馬もなんだか巨大な塊で
美しいしね。

あぁ、とても奇妙で珍妙だ。





極楽京都日記: 京都の時代祭 前編 

2016年6月13日月曜日

【漫画感想】ハンター×ハンター33巻

好き過ぎる漫画とかはなんだか逆に
感想とかレビューとかするのを忘れてしまいがちになるのだけど。

やっぱり面白いモノはちゃんと言わねばなるまいと
いうわけで「ハンターハンター」は面白いよ!
というか次元が違う感じで面白いよ!



■最近とみに思うのは
すっごく面白くて売れてる漫画って
様々な階層(レイヤー)に面白さが配置されているのよね。

このハンターハンターも
話がすっごく込み入ってきて内容も感情も複雑になってきているのだけど
(まぁ、私はそこが面白いのだが)
普通に、少年漫画の冒険モノにもなっていて
小学生も普通に読める。
細かな内容を理解しなくても
どんな状況になっているのかは大体分かる。

そしてその大体分かった状態で面白いのよね。



■それでこの漫画には大量のキャラが出てくるので
それぞれの立場、目的、思想が様々で
それの全ては今の君には分からないかもしれないけど
数年後読んだら、あのとき分からなかったキャラの心情がありありと分かる!
なんてこともありそう。

これももちろん分からなくても
誰か分かるキャラはいるので、
そいつを中心に読んで行くだけでも
ずんずん面白い。




■この階層に配置された面白さ。
分解して行くと
それ単体でひとつの漫画に成るほどの分量だ。

アクションバトルだし
推理モノだし
冒険活劇だし
取り引きと駆け引きの探り合いだし
人間ドラマだし
成長物語だし
政治の話だし
企業の話だし
恋愛モノだし
友情モノだし

■結局の所
世界の話になっている。

それらのどこかひとつに引っかかるだけでも面白いし
たいていひとつってことはないだろうから
普通の漫画の数倍面白くなってしまうのね。



■まぁ、これは逆に言うと
大抵の読者は漫画の内容をほとんど理解していないとも言える。
自分の理解出来る範囲のことしか分からないのね。
当たり前と言えば当たり前なのだけど。

「誰にも理解出来るモノを描けば良い」と思うかもしれない。
はたしてそれは実は果てし無く難しい。
内容が限定されるからだ。
全ての人が理解しているモノなんてないからだ。
友情、恋愛モノはそれに近い題材だけど
それでも子供の恋と大人の愛は違ってしまう。



■なので、階層を増やす。
キャラを増やす。
世界を広げるのだ。
(ワンピースなんかもそうね)

話が、どんどんズレた。


■ともあれハンターハンターは面白い。
理解すればするほどに
人の気持ちが分かるほどに面白さが増えて広がっていくのだ。

そう、世界は知れば知るほどに面白い!
冒険の旅に出よう!



【単行本続きのジャンプ連載の展開】の感想
ヒソカの覚悟がまさかここまでだったとはー!
普通、どちらか1人が死ぬまで決着がつかない展開だと。
引き分けで終わるか、死ぬけど念能力で完全な元の体に復活。
の2択だと思うじゃないですかー。
どっちもでなかったー!
スゲーなぁ、どうしてこの展開を思い付けるのかー。
あぁ、今日はこの話を読んでめちゃくちゃ元気が出ましたよー!
面白いなぁ。凄いなぁ。

追記:
今までは念能力は飛び道具な武器として使っていたのが
身体的な体術を使う時にも
日常にも常に使い続けることになるので。
ただ走る飛ぶ殴るが
すべてが能力とミックスされた行動になるのよねー。
ほへぇー。



2016年6月12日日曜日

コンビニ雑誌


いやー、私は買う雑誌もあれば立ち読みで済ます雑誌もあるので。
完全に「立ち読みなんかすんなやボケが!」
とまでは思わないのですが。
あくまで立ち読みは「させてもらっている」立場。
そしてその雑誌は誰かが買う物である。
ということを前提として、
丁寧に礼儀をつくして立ち読みをするべきだ。
と思うのですよね。
立ち読みの道。
立ち読み道がそこにある!

ひとつ!
「立ち読みは邪魔にならぬように!」
ひとつ!
「本は汚さない!」
ひとつ!
「姿勢を正して読むべし!」
ひとつ!
「あくまで買う人が優先である!」

そう、あくまで謙虚に。
立ち読みの民は生かされているのだ。
ちゃんと買う人々に。
コンビニの店員さんの優しさに。
おこぼれのお慈悲で生かされているのだ。

いや、そんな低い身分に甘んじるのなんて嫌だ!

と思うのなら
「買って読めやボケが!」

■余談として、棚で雑誌が裏表紙が破れちゃうの
漫画雑誌って号によって微妙にページ数が違ったりするので
2冊この隙間に入りそうで入らない場合があったりするのねよー。

まま、慎重に。

極楽京都日記: 中流人間 

2016年6月7日火曜日

洋画と邦画のストーリーライン


洋画と邦画の面白さの違い。
いろいろ言われていて
まぁ、結局の所制作費が違うからだろう?
というところに落ち着いていたのだけど。
このせと不幸せの量のバランスで腑に落ちた。

■そういえば日本の映画
悲しいシーンや
不幸なシーン
イジメのシーンや
理不尽な暴力を受けるシーンが
あからさまに多い気がするし、
そこをじっくりねっとり描き過ぎている気がする。

■もちろん洋画にもそのようなシーンはあるのだけど、
それを取り戻す幸せなシーンがある。
日本の映画にはその「幸せなシーン」がとんでもなく少ない。

心がワッと沸き立つような幸せなシーンがまるでない気がする。

■そして不幸から幸せの距離が離れているほど
感動は増すだろうから
不幸なシーンがどん底ならば
幸せなシーンはとんでもなく幸せな方が感動は大きい。

なぜなんだろう?
日本人は幸せを描くのが苦手なんだろうか?

■例えばホラー映画なんてのは幸せなシーンは無い
その代わりに「怖いシーン」がある
ホラー映画では怖いシーンが、喜びで楽しみなのだ。
しかしこの場合でも日本の映画の場合
恐怖も描くのだが、同時に「悲しみ」も描いてしまっている。
悲しみを描くのであれば幸せも描かなければいけないのだが、
描かない。
せっかくの恐怖という楽しみが悲しみでしょんぼりしてしまう。
悲しみがあるのであれば幸せがなくてはならないのだが、
それはない。

悲しみだけがある映画になる。
お金を払って悲しみだけを体感するのだ。
とっても損した気分になる。

映画は人生で、
人生は嬉しいことも悲しいこともある。
それは分かる。

ならば悲しみだけを描くのは
人生の半分で
その映画は完成品の半分の
未完成品だ。

■なぜなんだろう?
日本人は幸せを描くのが苦手なんだろうか?
人生とは辛く厳しいのだから幸せは描くべきではない、
なんてバカげたことを思っているのじゃないだろうか?

幸せの無い人生なんて生きる意味が無いし。
幸せの無い映画なんて見る意味が無いよ。




ストーリーのアップダウンは同じなのに。
すごく下の方でアップダウンしている感じね。

誤字×起→○超 

2016年6月6日月曜日

【漫画感想】ヒュプノス:成瀬乙彦

ギュッと凝縮された水晶のような塊だ。

突然、能力を授かった者が
訳も分からず「敵」と戦う羽目になる。
だからと言ってヒーローモノというには
泥臭過ぎて、億病で、純真で、激情だ。



1巻完結の物語で
映画1本分に少し足りないくらいの分量。
でも、ここに誰かの青春の全てがある。
誰かに取っては自分自身のことが描かれていることだろう。
それはとても小さなことだ。
しかし、それが、それこそが
世界を救うのかもしれない。



ただ自分を救いたかっただけなのかもしれないが。
それでもちゃんと良かったと言える物語だ。
読後はさわやかな青春ドラマだ。
つまはじき者の青臭い話だ。
血みどろで、涙と鼻水まみれだけれども。



なんつーか、漫画雑誌「アフタヌーン」の全盛期の頃のような作品で良かったですよー。
(これはビックコミックスペリオール連載ですが)
テーマソングは筋肉少女帯の「蜘蛛の糸」でよろしくって感じです。

中高生でじっとりとした青春を過ごしている君は必ず読もう!
楽しいよ♪うひひひひ。