過程が良かったかどうかは
成功して初めて
それが本当に価値があったかどうか
分かるんですよね。
■さらに、その時の
その努力に価値が合ったかどうかの判断は
割と適当で
別にしっかり調べてちゃんと効果があったのか、
どの行動がどう意味があったのか、
あったのならばその効率は何%ぐらい有効だったのか、
なんてことはまるで考えてない。
なんとなく
やって良かったはずだ
と思う。
■本当は全然別の要因で成功したかもしれないし
ただ運が良かっただけなのかもしれないけど、
本人は自分が努力をした結果だと思う。
もちろん本人が勝手にそう思うのは別にどうでもいい。
間違ってようが正解だろうが
他の人には何の影響もないからだ。
■そして、
だからと言って
努力しなくてもいい
なんてことはなくて。
なんらかのことをしなければ
成功はしないだろう。
■しかし、
ただただ、失敗した人に向かって
その失敗もいつかきっと何かの役に立つ経験になるはずだよ。
だから、これからもずっと頑張っていこう!
なんて目を輝かせて無責任なこと言う人が
すっごく苦手。
■内容が無く
内容の精査が無い
すごくぼんやりとしたものを
絶対そうなのだ、と言い張る。
■絶対確実な成功者の法則みたいなものがあれば
成功者の書く
「私が成功した理由」みたいな本が
毎年何十冊も出版されるのはおかしいからだ。
それらの本は
本当なら全員同じことを言っているはずだが
なぜか、全員違うことを言っている。
■そして、失敗について語った本は少ない。
まぁ、売れないからね。
しかし失敗については、
わりと皆同じことを言う。
■成功の法則はないが
失敗の原因はある。
そして
特に結論には至らないまま、
おしまい!
わー
自分で考えよう〜
極楽京都日記: 思考
極楽京都日記: 集団創作のパターン
極楽京都日記: 思ったことは現実になる
極楽京都日記: 無意識の条件
結果がすべて。 pic.twitter.com/ZDn7tqyTTe— UTUMI Mario 内海まりお (@mariouji) 2016年6月16日
誤字×合検→○合格
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