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2016年5月17日火曜日

集団創作のパターン


いわゆる会議で
「皆の意見を広く取り入れて、より良いものにする!」
なんて建前はあるのだけど

大抵は自由に意見を言いにくい。

ディズニーやピクサーの何人ものブレインが会議を重ねる
というものが本当にあるだなんて信じられなかった。

でも、実際そうやってるし。
結果も出しちゃっている。

なぜだか会議で「勝負」をしている人が多い。
相手の不具合を指摘し、自分の正当性を主張し、
主導権を握ろうとする。

協力しあう相手ではなくて
ただ敵として見ている。

■日本では多い職人的気質の弊害である場合もある。
最高の技術を持った指導者が一番偉く、
あとの者は弟子として
師匠に付き従うのみ。

意見を言うには
師匠と同等の技術を身に付けてからでないとダメだ。
なんていう奇妙な空間がある。

■個人で見ると日本人の能力は高いのだけど
集団になると低くなる。
独りのトップが部下に仕事を指定する
工場のような(工房のような?)関係になる。

なので「スタッフが全員”自分”なら良いのに」
と言うクリエイターは多い。

■何故その違いがあるのか?
アメリカなどでは学校で
ある程度のレベルまで引き上げる実務的な教育出来ている感じだ。
日本も教育機関はあるのだけど、
ここでも職人気質の師匠と弟子の関係
「見て憶えろ!」「技術は見て盗め!」
みたいな、およそ教育とは言えない手法が多く。
出来る人は勝手に出来るようになるが
分からない人には本質が見えないままに終わってしまう。

■学校を卒業した時点で
その技術レベルがバラバラだと
上の者に合わせて、下の者を排除するか。
下の者に合わせて、みんな同じ誰でも出来る仕事をするか。
そんな状態になってしまう。

■漫画の原作と作画が分かれている場合。
その二人が同等のレベルであるのが望ましい。
そういうことと似ているのかもしれない。

集団創作、つまりは「チームプレイ」というものは
その「レベルの一致」という前提があってこそなのだろう。

学校の球技大会でクラス対抗試合でのチームワークと
クラブ活動として全国大会を目指すときのチームワーク

それはまったく違うものだ。

■あ、逆にアメリカの政治は大統領に全てを一任する圧倒的リーダー気質
つまりは師匠と弟子で、これは日本と真逆だね。




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