2016年6月15日水曜日

武豊 TAKE YUTAKA

京都駅ビルにある美術館で「武豊展」を見に行った。
競馬騎手の武豊だ。
もう期間は終わっている。



私は特に競馬ファンでも武豊ファンでもないが、
タダ券を貰ったので見に行ったのだった。

展示は写真パネルがほとんどで歴代の乗馬シーンやオフショットなど。
あと映像と優勝カップや馬具などの展示。

それほど大きな展覧会ではなかったが。
なんだか奇妙な感動があった。

だいたい競馬自体が奇妙だ。
乗馬というのが意味不明だ。
動物を操るのだから、
本来はサーカスの猛獣使いのような存在なのだ。
しかもそれでレースをする。
動物を操ってレースをする。
まったくもってバカげている。

F1などの車のレースは理解出来る。
そこには車を操るテクニックがあるだろう。
しかし、馬を操るテクニックってなんだ?
いや、もちろんそういう技術はあるだろし、競馬学校なんてのもあるのだからね。

はてさて、
それはなんだか、
そこには超感覚的な得体の知れぬモノが
当たり前のように横たわっているのが奇妙なのだ。
その奇妙さを、武豊は「なんとなく理解している」のだろう。
そうでなければあのような偉大な記録は樹立できない。

でも、それは超能力的なものでなく。
なんとなく自分でも理解していないモノを
直感的に感知し、言語化の介在を無しに、
直接理解出来てしまう類いのモノなのだろう。

言葉を喋れない赤ん坊の言いたいことを
その母親はなんとなしに理解している。
あの感じだ。

本人にとって、それはそうとしか言えない。
…という当たり前のことなのだろうけど。

やはりそれはとても珍妙だ。

そしてその無いようなものが
まるで在るかのように振る舞われる奇妙さに
我々は感動してしまうのだ。

馬もなんだか巨大な塊で
美しいしね。

あぁ、とても奇妙で珍妙だ。





極楽京都日記: 京都の時代祭 前編 

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