競馬騎手の武豊だ。
もう期間は終わっている。
私は特に競馬ファンでも武豊ファンでもないが、
タダ券を貰ったので見に行ったのだった。
展示は写真パネルがほとんどで歴代の乗馬シーンやオフショットなど。
あと映像と優勝カップや馬具などの展示。
それほど大きな展覧会ではなかったが。
なんだか奇妙な感動があった。
だいたい競馬自体が奇妙だ。
乗馬というのが意味不明だ。
動物を操るのだから、
本来はサーカスの猛獣使いのような存在なのだ。
しかもそれでレースをする。
動物を操ってレースをする。
まったくもってバカげている。
F1などの車のレースは理解出来る。
そこには車を操るテクニックがあるだろう。
しかし、馬を操るテクニックってなんだ?
いや、もちろんそういう技術はあるだろし、競馬学校なんてのもあるのだからね。
はてさて、
それはなんだか、
そこには超感覚的な得体の知れぬモノが
当たり前のように横たわっているのが奇妙なのだ。
その奇妙さを、武豊は「なんとなく理解している」のだろう。
そうでなければあのような偉大な記録は樹立できない。
でも、それは超能力的なものでなく。
なんとなく自分でも理解していないモノを
直感的に感知し、言語化の介在を無しに、
直接理解出来てしまう類いのモノなのだろう。
言葉を喋れない赤ん坊の言いたいことを
その母親はなんとなしに理解している。
あの感じだ。
本人にとって、それはそうとしか言えない。
…という当たり前のことなのだろうけど。
やはりそれはとても珍妙だ。
そしてその無いようなものが
まるで在るかのように振る舞われる奇妙さに
我々は感動してしまうのだ。
馬もなんだか巨大な塊で
美しいしね。
あぁ、とても奇妙で珍妙だ。
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