読み切りで話題となった聴覚障害者が題材になる漫画である。
連載となって現在単行本3巻まで発売中。
これが、とてつもない。
■今までのこの手の障害者を扱った物語は
たいてい障害者を「心の清らかな人」
もしくは「天使」のような扱いをしてしまっていた。
これは障害者本人とその家族「以外の人」を救う物語だった。
それらの人はこういうのを読んで安心するのだ。
自分の中にあった障害者に対する黒い気持ちを
そういう物語によって浄化していた。
そう、当事者ではない第三者を救う物語が
障害者を扱った物語だったのだ。
■もちろんそれらを見て当事者の人達は妙な気持ちだった。
そうじゃ、ない人もいるよ。
そうじゃなくてはならないのか?
私達は天使でなければいけないのか?
私達は普通の人間ではないということなのか?
でも、そんなことを声を大きくして言うべきではない。
みんな救われているのだから
私達が口をつぐみ、我慢して、彼らの天使を演じればいいのだ。
なんて気持ちからの反動なのか。
むしろ普通の行動なのか。
「そうでもないよ!」
という障害者のありのままを伝える動きが出て来た。
障害者プロレスとか
NHKの障害者自身が出演する障害者バラエティーバリパラとか
乙武さんとかもそうだろう。
あと五体不満足のパロディみたいな本を
これも障害者の人が出していた気がするけど
あれなんて名前だっけ?
そんな感じで
これらのことは障害者だって
面白いヤツもいるしダメな奴もいるしサイテーな奴もいる。
ってことで彼ら自身を救った。
でもこれは「それ以外の人」は大変嫌がるのよね。
私達は以前の物語で救われたのだから
ひっかきまわさないでくれ、
幸せのままでいさせてくれ、ってね。
■で、戻って
現在、週刊少年マガジンで連載している
「聲の形」
という漫画は何かと言うと
両方を救おうとしているのだ。
なんとかして両方を救えるのではないか?
と邁進している物語なのだ。
それは、
とても、
恐ろしい!
一歩間違えると、誰も救えないばかりか
全ての人を敵にまわしてしまう危険性が多分に有る!
だけど、だけどだ。
それが成功したのならば
誰もがこの物語を読んで
救われたのならば。
どちらもすべからず
救われたのならば。
それは
とても
とても
素晴らしいことだ。
夢のようだ。
想像しただけで
泣いてしまいそうだ。
でも、私は怖いのだ。
それはきっと私の中にある黒いアレなのだ。
■…ふーーっ
などと言いつつ!ヘイ!
なんだかんだ言って
青春モノの少年漫画なのですよ。
熱くてどうしようもなくバカで
空回りして恥ずかしくって
心がざくりと痛いけど
笑えるほどに愛らしい
泣けるほどに嬉しい気持ち
ラブコメ漫画って言っても良いのではないでしょうか?
いやはや、
「青春」は良いぜ。
そして、あなたの笑顔はもっと良い。
全ての人にオススメの漫画ですよ。
イェイ!
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