中学生のころ「右肩上がり」とか「左肩下がり」とかいうことを聞く。
景気の話ではなく。
身体が歪んで肩の高さが平行になっていない状態のことだ。
つねに同じ手にカバンを持っているとそちらの肩が下がったり
机で文字を書く姿勢が悪くて肩に妙なクセがついてしまって
平行でなく、真っすぐでない状態に体が変形してしまっている。
そしてそれは特別なことではなく
誰しもが多少なりとも歪んでいるということだった。
なんだかそれは嫌だなぁ、と私は思った。
歩いている人の靴を見ると左右の靴の減りが違う人がいる。
これは左右の足の長さが微妙に違う事から起こることなのだが。
それもなんだか嫌だなぁ、と思った。
■左右対称、シンメトリーが好きというわけではない。
左右の歪みがあるということは
どちらかに力が入り過ぎているということだ。
バランスが悪い。
■私はそれをちょうど良いバランスにしたいと思った。
そしてちょうど良いということは
最適な力を与えるということである。
強過ぎず、弱過ぎず。
その行動にぴったり必要な力を過不足なく与える
そういうことが、とても好きだ。
■歯医者に行くと
あなたくらいの年齢なら多少歯がすり減っているのだけど、
ちゃんと噛んで食べてます?
と聞かれるのだが
もちろん、ちゃんと噛んでいる。
しかし「ちょうどよい最適の噛み具合で噛んでいるのだ」
だから無駄に力を与え過ぎて歯がすり減ることはない。
■または、私もまぁそれなりに漫画を描いてきたわけなのだが
「ペンだこ」はない。
それはまだまだ描く量が少ないからだ、と言うかもしれないが。
違う。
私はちょうどよい力加減でペンを握り
ちょうど良い筆圧で線を引いている。
だから無駄な負荷が指にかかることがなく、
ペンだこは出来ない。
■この間少し肩こりっぽくなったのだが。
あぁ、これもちょうど良い力加減で出来てないのだな。
と気付き。
ちょうど良い位置、ちょうど良い動作、ちょうど良い力加減を心がけるようにし
肩こりを直した。
■そんな感じで
私は「ちょうどよい」ということが大好きであるとともに
「ちょうどよい」を極める事が全ての真実に到達する事だと信じてやまない。
「ちょうどよい」は全ての悩みを解消し
「ちょうどよい」はあまねく幸福を生み出す
さぁ、あなたも私と共に「ちょうどよい」を目指そうではありませんか!
そうです私が「ちょうどよい教」の教祖、内海まりおでございまーす!
(まさかの宗教オチ)
教祖のkindle本発売中。
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