2014年1月16日木曜日

エンダーのゲーム:小説

■「エンダーのゲーム」の書評で
これは天才少年が宇宙戦争に立ち向かう話ではあるが
その大部分が天才であるが故に学校内で迫害を受ける。
学校内、クラス内での上下関係、ピラミッド構造。
いわゆるスクールカーストについての話でもある。

というのがあって、ほほぅ、と思った。

■そして将来リーダーと成る者は
そのスクールカーストにおいて大抵が底辺にあるという。
能力があるのだから上に立てるのではないか?
と思うのだが
クラス内で上位チームに入れるのは、スポーツやらで目立てる
アイドルでありアイコンである。
それは「リーダー」ではないのだ。

なので将来、彼らを動かして行くリーダーになるためには。
そのカースト内で耐え、もしくは策を練り、生き残らなくてはならない。
そうした障壁を乗り越えた者だけがリーダー、
つまり指導者となり。
皆を導くエリートと成りうるのだ。

■というのがアメリカ社会では常識として言われており
このエンダーのゲームも実際そういう人達の教科書として読まれているのだそうだ。

■そして、この考えは日本にはあまりなかったりする。
日本ではある程度勉強ができる子は、中学、高校で
バカな連中とは分かれ、同程度の仲間と一緒になり、
勉強でトップに成り続け、
果ては官僚、政府の役職、有名企業に就職だったりするので。

リーダーの資質が育たないということなのだ。

民衆とは別れて成長してしまう。

なので小さなベンチャー企業で成功しても
それが大きくなり社員の数が増えてくると、
途端に破綻してしまう。
なんて状況がよくある。

能力はあるのにリーダーとしての力がないのだ。

■ここらへんがやっぱ人が多い国は違うなぁ、と
「リーダー論」ってのがなかなか日本には浸透してない所で
学ぶべき所なのだろう。

■「バカが大勢いる」のは当然の前提として考えてるのが、キモじゃないかなぁ。
「大衆は馬鹿である!」と蔑むんじゃなくて

「でも、一緒に楽しくやりたいよね。じゃあ僕がリーダーやるから皆一緒に遊ぼうよ」
と言える包容力かな?



映画「エンダーのゲーム」公式

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