デジタル VS アナログ
特撮映像 VS CG映像
■CGに比べて特撮の方が迫力があるように感じてしまう。
CGは実際に存在しないが、
特撮はミニチュアではあるがそこに実物があるということで
説得力に厚みが出るのではないか?
という話を聞いたのだけど。
これは気のせいであり。
そしてこの対決は対等な条件で出来ていない。
■なんというか
ビックリする様な映像を見た人に。
いやいやあれはCGなんだよ。と教えてあげると。
「なんだ~CGか~ビックリしたー嘘なんだ~」
ってなるのだけど。
特撮映画場合は始めから特撮として見ている。
始めから嘘だとわかった上で楽しんでいると思うのです。
さらに、そういうことを知らない小さな子供達は
CG、特撮関係なくどちらも大興奮して見ると思う。
仮面ライダーのどこが特撮パートでどこがCGパートなんてのは気にしていない。
実はそういう「知識」や「体験」のない人にとっては
両者の区別はつかない。
「CGは実際に存在しないが、特撮はミニチュアであるがそこに実物がある」
なんていうのは知識によって知っているだけで。
実際の映像を見ての感覚ではない様な気がするのです。
CGはCGだと知っているから「嘘」だと思う様になる。
■そしてCGは本物と見分けがつかない様にする、という妙な条件が、
そんな条件は無いのに付いている気がする。
一方、特撮はそんなことよりその場面を表現出来れば良い、とそれだけで
さらに様々な特撮アイディアはあるが、あくまでミニチュアで撮れる制限内ということもある。
■で、ふと思ったのは「特撮」という表現はもう完成されている表現なのだ。ということだ。
一方、CG。言わばデジタルというのは未だ未完成の表現方法なのだ。
1年前の表現が古くなる、なんてのは当たり前で。
そのときの最善の方法で作っているだけで、つねに未完成。
そして教本的なものも確立されないまま
とりあえず新しいから、という理由で使うので失敗も多々ある。
■完成されている表現としては日本の伝統芸能「文楽」なんてのもあると思う。
人形をおっさんが3人掛かりで動かすアレである。
動かしている黒子の人は舞台に丸出しだが、
それにツッコムなんて無粋なことは誰もしない。
「そういうもの」だと思って見ているのだ。
つまり様々な表現は「嘘だとわかって」見ている。
なのになぜかCG表現にはそこが厳しく
そういうものだ、と思ってくれなく。
完全に私を騙してくれ~と逆に凄い期待されているような気もする。
■あぁ、話がこんがらがってきた!
えーっと
アナログとデジタルの境界!
これってたぶん人によって違うし
そしてその境界線は年々前に進んでいる。
ファックスはデジタルかアナログか?
アコースティックギターの音楽をiPodで聞くのはデジタルかアナログか?
ビデオテープってデジタルだよね?
電報は電って付くぐらいだから当然デジタル!
■そこで問題だ!
「ファミコンのドット絵は?」
これわりとアナログ的な暖かみを感じている人多いのじゃなかろうか?
そしてある世代にとってはもう既にノスタルジー、哀愁を感じるほのかな温もり、
になっているのじゃなかろうか?
ファミコンのドット絵は
デジタルでCGですよ!
でも、ドラクエの魔王はあなたの中に確かに実在したのでしょう!
■そしてお爺ちゃんに聞くとこう答えるでしょう
「全部ピコピコじゃ!」
■なーんて、いろんな話題でごっちゃになってしまったけど。
つきつめてくるとCGはコンピュータ上のモノだから実在しない、
ってのが揺らいで来るのがよいね。
攻殻機動隊の草薙素子の意識は無限に広がる電脳空間に実在するのよ。
宇宙は、広大だわ。
■決定的なのは、音楽体験と同様に個々人の「青春時代」に埋め込まれたものから
逃げ出す事は出来ないし、
そこが全ての中心になってしまうということ。
■「虚構」も「現実」も
自身の「体験」と「知識」でどうとでも変容する。
若い子が青春時代の曲は初音ミクの曲です。
と言ってもそれを否定する事は誰にも出来ないのです。
おっさんが昔の音楽は良かった、というのと同等に。
■本当の映像なんてどこにもないのです。
あークレイアニメーションってのもあるねー。
ゲームも「体験」してきた。