■音楽は有限なのではないか?
モーツアルトの時代から延々と音楽は作り続けられているだから。
良いメロディーというのはもう出尽くしてしまっているのではないか?
それを作曲技術でごまかし延命させているだけで。
もう新しい音楽は生まれないのではないか?
■そんな、感じの「杞憂」が思い出したかの様に定期的に出て来るのを見る。
答えはまさに杞憂である。
心配する必要は無い。
もちろんメロディーは音の組み合わせであるから
有限である。
しかし、それは「宇宙は有限であるのだから小さい」
と言っているようなもので
それはほぼ無限にしか見えない様な、大量の果てが見えない有限である。
■こういう事は有限だから、限りがある。
と短絡的に考えてしまいがちだ。
例えば、君が今日やるべき仕事は5億個あると言われれば。
それはもう無限で、君は出来る訳が無い!と言うだろう。
しかし、5億とは数であり有限な、果てのあるものである。
■違う例えでは
そう、「絵画」とかはどうだろう。
絵画も音楽と同じくらいに延々と描かれ続け、生み出され続けてきたものだ。
「美しい絵はどこかで、出尽くす」だろうか?
答えは、ノーだ。
■気付き始めたかもしれないが、
音楽も、絵画も、それは
「感動」が有限であるか無限であるか。
という話になってくる。
人間の感動は有限なのか?
無限なのか?
私は無限ではないと思う。
しかし有限であるが、
私が生きている間にその全てを体感することはできないだろう。
むしろ足りないのは時間の方だ。
■メロディーと感動は溢れんばかりに潜んでいる。
なにも心配することはない。
そんな杞憂をしている間に、
探し出しに出かけよう。
扉を開けて。
歌を歌おう。
鍵盤はデジタル。人間がアナログな音階を使い作曲できるようになれば、無限にメロディーができるのでは?
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