■漫画雑誌モーニングで連載中の「きのう何食べた」で
料理が微妙に下手、な女の人が出て来て。
そこそこ長い事、一人暮らしで自分で料理作っていて
その作業もテキパキと手早く効率的なお手並み。
なのに、微妙にマズい。
激マズで食えないってほどじゃないけど、
軽く我慢して食えば問題ない、ってくらいにマズい。
■なぜなのか?
そこで彼女は衝撃的な発言をする。
「ちゃんとレシピの分量通り、計ってやれば旨くなることはわかってるんだけど。
そうすると「効率的じゃなくなる」からなぁ…」
と言ったのだ!
ショッキング!
というかそうか!
こういう考え方をする人もいるのか!
と目から鱗でありました!
■彼女にとって、
おいしい料理が出来る事より、効率的に作業が終わる事の方が重要なのだ。
もちろん、おいしくなるにこしたことはないが、
それで無駄に時間が使われるのは嫌なのだ。
ってなんでやねーーん!!!
と叫びたくなるが。
そういう人もいるのだ、ということをしっかりと受け止めなくてはならない。
■私の近年の理論に「普通の人など誰もいない」
というものがあるが。
そうなのだ、彼女は自分のそれを普通だと思っていることだろう。
そしてそれを見る私はそれを普通ではない、と思う。
しかし、それは私が普通であることの証明にはならない!
この世の全ての人は普通ではないのだ!
普通の人など誰もいないのだ!
■話がそれたが、この料理が下手な女性の話。
この間聞いた「武井壮のスポーツ理論」に通じる所があると思う。
武井壮の話は、
スポーツ選手にとって膨大な練習よりも重要なものがある。
「それは目をつぶって、自分の体を思い通りの場所に正確に動かせる能力だ」
走る時、足元を見て走っている人はいない、
見えない足を自分の想像通りの理想のフォームで動かせているか?
それには反復練習しかない、と言う人もいるだろうが。
その前に「自分の体を思い通りの場所に正確に動かせる能力」があれば
その習得は格段に早くなる。
逆に「自分の体を思い通りの場所に正確に動かせる能力」が無いと
偶然そのフォームになるまでひたすら無駄に練習を続けなくてはならない。
まずはそれが大事だ。
ということなのだ。
■で、戻って料理の話。
調味料を計る事をせず目分量で料理を作り、
いっこうに料理の腕が上達しない人は
まさにそれ。
「自分の体を思い通りの場所に正確に動かせる能力」
転じて
「自分の想像する味加減には、どのくらいの量の調味料が必要かが、分かる能力」
が圧倒的に無いのだ。
何度も料理をして、加減を変化させて、練習していくのも良いかもしれないが。
まずは正確な量をレシピ通りに計れば良いのだ。
正解を体感して、経験として身につければ良いのだ。
だから~正解を飛ばすなよ~。
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