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2014年2月3日月曜日

「きのう何食べた」料理が下手:武井壮のスポーツ理論

目分量:料理が下手:武井壮のスポーツ理論

■漫画雑誌モーニングで連載中の「きのう何食べた」で

料理が微妙に下手、な女の人が出て来て。
そこそこ長い事、一人暮らしで自分で料理作っていて
その作業もテキパキと手早く効率的なお手並み。

なのに、微妙にマズい。
激マズで食えないってほどじゃないけど、
軽く我慢して食えば問題ない、ってくらいにマズい。

■なぜなのか?

そこで彼女は衝撃的な発言をする。

「ちゃんとレシピの分量通り、計ってやれば旨くなることはわかってるんだけど。
 そうすると「効率的じゃなくなる」からなぁ…」

と言ったのだ!
ショッキング!
というかそうか!
こういう考え方をする人もいるのか!
と目から鱗でありました!

■彼女にとって、
おいしい料理が出来る事より、効率的に作業が終わる事の方が重要なのだ。
もちろん、おいしくなるにこしたことはないが、
それで無駄に時間が使われるのは嫌なのだ。

ってなんでやねーーん!!!

と叫びたくなるが。
そういう人もいるのだ、ということをしっかりと受け止めなくてはならない。

■私の近年の理論に「普通の人など誰もいない」
というものがあるが。
そうなのだ、彼女は自分のそれを普通だと思っていることだろう。
そしてそれを見る私はそれを普通ではない、と思う。
しかし、それは私が普通であることの証明にはならない!
この世の全ての人は普通ではないのだ!
普通の人など誰もいないのだ!

■話がそれたが、この料理が下手な女性の話。
この間聞いた「武井壮のスポーツ理論」に通じる所があると思う。
武井壮の話は、
スポーツ選手にとって膨大な練習よりも重要なものがある。

「それは目をつぶって、自分の体を思い通りの場所に正確に動かせる能力だ」

走る時、足元を見て走っている人はいない、
見えない足を自分の想像通りの理想のフォームで動かせているか?
それには反復練習しかない、と言う人もいるだろうが。

その前に「自分の体を思い通りの場所に正確に動かせる能力」があれば
その習得は格段に早くなる。
逆に「自分の体を思い通りの場所に正確に動かせる能力」が無いと
偶然そのフォームになるまでひたすら無駄に練習を続けなくてはならない。

まずはそれが大事だ。
ということなのだ。

■で、戻って料理の話。
調味料を計る事をせず目分量で料理を作り、
いっこうに料理の腕が上達しない人は
まさにそれ。

「自分の体を思い通りの場所に正確に動かせる能力」

転じて

「自分の想像する味加減には、どのくらいの量の調味料が必要かが、分かる能力」

が圧倒的に無いのだ。

何度も料理をして、加減を変化させて、練習していくのも良いかもしれないが。
まずは正確な量をレシピ通りに計れば良いのだ。

正解を体感して、経験として身につければ良いのだ。

だから~正解を飛ばすなよ~。




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