2016年6月17日金曜日

【映画】オデッセイ観た


■なんとなくダッシュ村のTOKIOの話だと聞いていたので
自然に立ち向かうマッチョな話だと思っていたのだが
違った。

■火星に行くミッションで事故により
置き去れにされる男の奮闘と
それに気づき救出に向かうチームの推進力。

■まぁ出てくるメンバーの全てが基本的に頭の良い人達なのだ。
NASAのメンバーなんて基本、能力の高い人ばかりだ。
その人達だから変な所で悩まないので凄く嬉しい。

よくありがちなバカな奴がパニックで事態を悪化させることや、
自分のことしか考えない低レベルの感動屋が居ないことが
とても良い。



■しかし、そんな人ばかりでも
難問は難問なのだ。
悲しい気持ちになることもある。
しかし、そこはアメリカンなのか
どんな状況でもジョークを言う。
悲しみに暮れる時間は短く、
スパッと次やるべきことに頭を切り替える。


■政治家も出てくるが
彼らも彼らで頭が良い
有益であるならばどんな困難も押しのけて
無理も道理もふっ飛ばして進むパワーがある。
とても素敵。



■実はこの映画ではたぶん意図的に
「孤独」の時間を大幅にカットしている。

「インターステラー」や「ゼログラビティ」では
割とその宇宙での孤独を濃厚に描いていて
私は大好きなのだけど、
一般的には「無限の孤独」には多くの人が耐えられない恐怖を抱いているのだろう。
まぁ、火星に数年ひとりで生活する状況を想像すると恐ろしいのは分かるのだが。

■なので、逆にオデッセイでは
「仲間の繋がり」を描いている。
アメリカンな我らが祖国から。
そして、中国の援助を受け入れられたのは大きな成長だろう。

国の垣根を越えたかのように見えているが、
実はこれ頭の良い人どうしは国とは関係なく繋がれるという話なのだ。

それとは関係無い人はただ「感動物語を供給してくれる人達」を眺めているだけ。


■国境は既に無い。
映画好き。音楽好き。アニメ好き。
これらの人達はもう既に国とは関係なく繋がっている。
科学好きなど、学問関係はもうとっくに。

根本的な気持ちが同じなら
国の違いなどなんの障壁にもならない。
同じ国であれど通じ合えない人はいる。

人間なんて根本ではたいして変わらない。
違う国であれ同じように考える人は
驚くほど多くいるのだ。

もちろん、全ての人が繋がるわけではないが、
思っても見ないほど多くの国であなたの気持ちは繋がるものなのだ。

地球を空から眺めてみても
どこにも国境線なんて描いていないのだ。

ちなみに
地球一周:4万km
月までの距離:38万4400km
火星までの距離:2億700万km(2億4,900万km)
はやぶさが行った小惑星:イトカワ3億km










2016年6月15日水曜日

武豊 TAKE YUTAKA

京都駅ビルにある美術館で「武豊展」を見に行った。
競馬騎手の武豊だ。
もう期間は終わっている。



私は特に競馬ファンでも武豊ファンでもないが、
タダ券を貰ったので見に行ったのだった。

展示は写真パネルがほとんどで歴代の乗馬シーンやオフショットなど。
あと映像と優勝カップや馬具などの展示。

それほど大きな展覧会ではなかったが。
なんだか奇妙な感動があった。

だいたい競馬自体が奇妙だ。
乗馬というのが意味不明だ。
動物を操るのだから、
本来はサーカスの猛獣使いのような存在なのだ。
しかもそれでレースをする。
動物を操ってレースをする。
まったくもってバカげている。

F1などの車のレースは理解出来る。
そこには車を操るテクニックがあるだろう。
しかし、馬を操るテクニックってなんだ?
いや、もちろんそういう技術はあるだろし、競馬学校なんてのもあるのだからね。

はてさて、
それはなんだか、
そこには超感覚的な得体の知れぬモノが
当たり前のように横たわっているのが奇妙なのだ。
その奇妙さを、武豊は「なんとなく理解している」のだろう。
そうでなければあのような偉大な記録は樹立できない。

でも、それは超能力的なものでなく。
なんとなく自分でも理解していないモノを
直感的に感知し、言語化の介在を無しに、
直接理解出来てしまう類いのモノなのだろう。

言葉を喋れない赤ん坊の言いたいことを
その母親はなんとなしに理解している。
あの感じだ。

本人にとって、それはそうとしか言えない。
…という当たり前のことなのだろうけど。

やはりそれはとても珍妙だ。

そしてその無いようなものが
まるで在るかのように振る舞われる奇妙さに
我々は感動してしまうのだ。

馬もなんだか巨大な塊で
美しいしね。

あぁ、とても奇妙で珍妙だ。





極楽京都日記: 京都の時代祭 前編 

2016年6月13日月曜日

【漫画感想】ハンター×ハンター33巻

好き過ぎる漫画とかはなんだか逆に
感想とかレビューとかするのを忘れてしまいがちになるのだけど。

やっぱり面白いモノはちゃんと言わねばなるまいと
いうわけで「ハンターハンター」は面白いよ!
というか次元が違う感じで面白いよ!



■最近とみに思うのは
すっごく面白くて売れてる漫画って
様々な階層(レイヤー)に面白さが配置されているのよね。

このハンターハンターも
話がすっごく込み入ってきて内容も感情も複雑になってきているのだけど
(まぁ、私はそこが面白いのだが)
普通に、少年漫画の冒険モノにもなっていて
小学生も普通に読める。
細かな内容を理解しなくても
どんな状況になっているのかは大体分かる。

そしてその大体分かった状態で面白いのよね。



■それでこの漫画には大量のキャラが出てくるので
それぞれの立場、目的、思想が様々で
それの全ては今の君には分からないかもしれないけど
数年後読んだら、あのとき分からなかったキャラの心情がありありと分かる!
なんてこともありそう。

これももちろん分からなくても
誰か分かるキャラはいるので、
そいつを中心に読んで行くだけでも
ずんずん面白い。




■この階層に配置された面白さ。
分解して行くと
それ単体でひとつの漫画に成るほどの分量だ。

アクションバトルだし
推理モノだし
冒険活劇だし
取り引きと駆け引きの探り合いだし
人間ドラマだし
成長物語だし
政治の話だし
企業の話だし
恋愛モノだし
友情モノだし

■結局の所
世界の話になっている。

それらのどこかひとつに引っかかるだけでも面白いし
たいていひとつってことはないだろうから
普通の漫画の数倍面白くなってしまうのね。



■まぁ、これは逆に言うと
大抵の読者は漫画の内容をほとんど理解していないとも言える。
自分の理解出来る範囲のことしか分からないのね。
当たり前と言えば当たり前なのだけど。

「誰にも理解出来るモノを描けば良い」と思うかもしれない。
はたしてそれは実は果てし無く難しい。
内容が限定されるからだ。
全ての人が理解しているモノなんてないからだ。
友情、恋愛モノはそれに近い題材だけど
それでも子供の恋と大人の愛は違ってしまう。



■なので、階層を増やす。
キャラを増やす。
世界を広げるのだ。
(ワンピースなんかもそうね)

話が、どんどんズレた。


■ともあれハンターハンターは面白い。
理解すればするほどに
人の気持ちが分かるほどに面白さが増えて広がっていくのだ。

そう、世界は知れば知るほどに面白い!
冒険の旅に出よう!



■【単行本続きのジャンプ連載の展開】の感想
ヒソカの覚悟がまさかここまでだったとはー!
普通、どちらか1人が死ぬまで決着がつかない展開だと。
引き分けで終わるか、死ぬけど念能力で完全な元の体に復活。
の2択だと思うじゃないですかー。
どっちもでなかったー!
スゲーなぁ、どうしてこの展開を思い付けるのかー。
あぁ、今日はこの話を読んでめちゃくちゃ元気が出ましたよー!
面白いなぁ。凄いなぁ。

追記:
今までは念能力は飛び道具な武器として使っていたのが
身体的な体術を使う時にも
日常にも常に使い続けることになるので。
ただ走る飛ぶ殴るが
すべてが能力とミックスされた行動になるのよねー。
ほへぇー。




HUNTER×HUNTER モノクロ版 39 (ジャンプコミックスDIGITAL)

2016年6月12日日曜日

コンビニ雑誌


いやー、私は買う雑誌もあれば立ち読みで済ます雑誌もあるので。
完全に「立ち読みなんかすんなやボケが!」
とまでは思わないのですが。
あくまで立ち読みは「させてもらっている」立場。
そしてその雑誌は誰かが買う物である。
ということを前提として、
丁寧に礼儀をつくして立ち読みをするべきだ。
と思うのですよね。
立ち読みの道。
立ち読み道がそこにある!

ひとつ!
「立ち読みは邪魔にならぬように!」
ひとつ!
「本は汚さない!」
ひとつ!
「姿勢を正して読むべし!」
ひとつ!
「あくまで買う人が優先である!」

そう、あくまで謙虚に。
立ち読みの民は生かされているのだ。
ちゃんと買う人々に。
コンビニの店員さんの優しさに。
おこぼれのお慈悲で生かされているのだ。

いや、そんな低い身分に甘んじるのなんて嫌だ!

と思うのなら
「買って読めやボケが!」

■余談として、棚で雑誌が裏表紙が破れちゃうの
漫画雑誌って号によって微妙にページ数が違ったりするので
2冊この隙間に入りそうで入らない場合があったりするのねよー。

まま、慎重に。

極楽京都日記: 中流人間 

2016年6月7日火曜日

洋画と邦画のストーリーライン


洋画と邦画の面白さの違い。
いろいろ言われていて
まぁ、結局の所制作費が違うからだろう?
というところに落ち着いていたのだけど。
この幸せと不幸せの量のバランスで腑に落ちた。

■そういえば日本の映画
悲しいシーンや
不幸なシーン
イジメのシーンや
理不尽な暴力を受けるシーンが
あからさまに多い気がするし、
そこをじっくりねっとり描き過ぎている気がする。

■もちろん洋画にもそのようなシーンはあるのだけど、
それを取り戻す幸せなシーンがある。
日本の映画にはその「幸せなシーン」がとんでもなく少ない。

心がワッと沸き立つような幸せなシーンがまるでない気がする。

■そして不幸から幸せの距離が離れているほど
感動は増すだろうから
不幸なシーンがどん底ならば
幸せなシーンはとんでもなく幸せな方が感動は大きい。

なぜなんだろう?
日本人は幸せを描くのが苦手なんだろうか?

■例えばホラー映画なんてのは幸せなシーンは無い
その代わりに「怖いシーン」がある
ホラー映画では怖いシーンが、喜びで楽しみなのだ。
しかしこの場合でも日本の映画の場合
恐怖も描くのだが、同時に「悲しみ」も描いてしまっている。
悲しみを描くのであれば幸せも描かなければいけないのだが、
描かない。
せっかくの恐怖という楽しみが悲しみでしょんぼりしてしまう。
悲しみがあるのであれば幸せがなくてはならないのだが、
それはない。

悲しみだけがある映画になる。
お金を払って悲しみだけを体感するのだ。
とっても損した気分になる。

■映画は人生で、
人生は嬉しいことも悲しいこともある。
それは分かる。

ならば悲しみだけを描くのは
人生の半分で
その映画は完成品の半分の
未完成品だ。

■なぜなんだろう?
日本人は幸せを描くのが苦手なんだろうか?
人生とは辛く厳しいのだから幸せは描くべきではない、
なんてバカげたことを思っているのじゃないだろうか?

幸せの無い人生なんて生きる意味が無いし。
幸せの無い映画なんて見る意味が無いよ。




ストーリーのアップダウンは同じなのに。
すごく下の方でアップダウンしている感じね。

誤字×起→○超 

2016年6月6日月曜日

【漫画感想】ヒュプノス:成瀬乙彦

ギュッと凝縮された水晶のような塊だ。

突然、能力を授かった者が
訳も分からず「敵」と戦う羽目になる。
だからと言ってヒーローモノというには
泥臭過ぎて、億病で、純真で、激情だ。



1巻完結の物語で
映画1本分に少し足りないくらいの分量。
でも、ここに誰かの青春の全てがある。
誰かに取っては自分自身のことが描かれていることだろう。
それはとても小さなことだ。
しかし、それが、それこそが
世界を救うのかもしれない。



ただ自分を救いたかっただけなのかもしれないが。
それでもちゃんと良かったと言える物語だ。
読後はさわやかな青春ドラマだ。
つまはじき者の青臭い話だ。
血みどろで、涙と鼻水まみれだけれども。



なんつーか、漫画雑誌「アフタヌーン」の全盛期の頃のような作品で良かったですよー。
(これはビックコミックスペリオール連載ですが)
テーマソングは筋肉少女帯の「蜘蛛の糸」でよろしくって感じです。

中高生でじっとりとした青春を過ごしている君は必ず読もう!
楽しいよ♪うひひひひ。