これは何度となく言っているのだけど。
結局の所、仕方の無いことなのだよね。
これからも別に言える様になったりはしない。
そういうものだ。
割と日本人が中高と6年間英語を勉強しているのに
英語が全くしゃべれないってのと似た様なことかもしれない。
まったく練習をして来ていないものね。
読書感想文というものがあったが
あれも特に指導はなく
みんな何となく書いていた。
そしてなんとなく巧くは書けないまま
嫌な宿題としての記憶だけが残った。
■しかし、まぁ具体的なこととしては
みんな感想を凄く大層なものと勘違いしている側面もある。
「面白かった〜」だけでも全然良いのに
「もっとちゃんとしたものを書かなければいけない」
なんて変に身構えている
そしてその「立派なレビューが書けないのなら、書くのは諦める!」
なんて奇妙なことに。
あと「ネタバレになるから感想は言えない」なんてのも
「面白かった〜」って言うのにネタバレも糞もないよ。
■そのクセにダメな所を指摘したり
他作品と比べてここが物足りないというのは大好きで
すごい長文でベラベラと饒舌に語ったりする人は多い。
しかし、その感想はあまり求められていないのだ。
なぜならそれは「こんな感想を書ける、俺って凄いやろ〜」という臭いがプンプンで
その感想を読んで映画を観に行く気にはなれないし。
むしろ、観に行かない為の力になってしまう。
その人は面白くなくても、自分は面白いかもしれないのに
その可能性を潰されるのだ。
■なのでまず「面白かった!」だけでもいいか書いて見ることをお勧めする。
しかし、まぁそれすら大部分の人は実行に移せないだろう。
自意識なのか?世間体なのか?
みんな、いったい、どんな呪いを掛けられているのだ?
極楽京都日記: 無意識の条件
極楽京都日記: 夢を叶える物語。
極楽京都日記: 評論家の語るものは売れない。
極楽京都日記: ネタバレ無しでは感想が書けない人々:レビューが書けない人達へ
たいていの人は感想が言えない話。 pic.twitter.com/zejOsKGFEI— UTUMI Mario 内海まりお (@mariouji) 2016, 1月 28
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