■物の値段を決めるのは難しいですよね。
買う側からしたら安ければ安いほどいい
売る側としては赤字になったら意味ないし
ちゃんと儲けが出る様に設定したい。
でもそれは需要と供給のバランスの話であって
物の本来の価値ではないんですよね。
■簡単な例えではそれを自分で作れるか、という想像をして見るとよいですな。
お米、
自分で畑の土地を買って、耕して苗を植えて数ヶ月管理して収穫。
もちろんその作業に使う道具や機械も買わないといけないし。
突然、大雨が続いて全ての稲がダメになる可能性もある。
超絶面倒臭い!
しかし、それがなんとお米屋さんにいけば
お手軽に買える!
超便利じゃないですかー!
やったー!!
■そうなんですよねー。
基本的にお金で物を買うってことは
自分は物を作り出すことができないので
代わりにやってもらっている。
てな感じ。
テレビやパソコンとか自分で作れって言われても当然無理だし。
ネジの一本も自分では作ることはできない。
■じゃあ家を建てるとかどうだろう?
ログハウスみたいなのなら出来るんじゃね?
これは意外と出来るんですよね。
色々調べて人から聞いてやれば、やってできないことはない。
しかし、膨大な時間がかかる!
もちろん材料費やらなにやら費用もかかる。
でも、建設会社に頼むより安くなるんでしょ?
と思ったあなた!とても危険!
自分の労働の賃金をゼロ円で計算していますよ!
■そう、労働にも対価は払われるんですよね。
物の価値を決める時。
買う側が忘れがちになるやつ〜。
■などと、ここまで言ってきましたが。
これは全然、本来の物の価値を決める手がかりにはなっていません。
お米はその美味しさで値段が変わるべきだけど、
あまりそうはなっていない。
パソコンの古い機種が安くなるのは「本来の価値」に近いのかも?
この場合、人間の満足度の域が上がってしまっていることもあるから
また違うのかな?
■だから絵画。
名画が数億円で取り引き。
なんてのは本当に価値だけの話ですよね。
その絵にそれだけの価値があると納得して買う。
別に絵具やキャンバス、絵を描いた時間が数億円分あるわけではない。
「技術力」なのかと言えば、
まぁ、それもあるけど「美」や「感動」にお金を払う感じですよね。
■でもそれはとても特別なケースで
芸術であれ、音楽のCDや映画館で見る映画
どれも値段同じですよね。
これは面白い作品だから高い。
これはそこまでではないから半額でオッケーとかにはならない。
■つまり「美」や「感動」に値段を付けられないんですよね。
「感動に値段は付けられないんだ!」
なんて言うとカッコいいけど、
価値を判断できないだけじゃないか。
■そして究極に行きつけば
「命」に値段をつける。
「愛」に値段をつける。
これをすることが出来れば
本当に物の価値を決めることができる人になれると思います。
命に価値はつけられない!
愛は物じゃない!
と多くの人は言いますが。
たいていの人は自分の家族や恋人が他の人より大事ですし
他国よりも自国のことを愛しています。
それは命や愛を差別しているってことなんですけどね。
無自覚に価値をつけてランキング順位を付けていると思いますよ。
■でも、それこそが
本当の価値なんじゃないかと思うのですが。
どうなんでしょうねー。
あ、自分勝手な価格。
時価ならぬ自分価格で「自価」か!
自価、いくらくらい付けちゃいます?
音楽や小説や映画の良し悪しは「想い出」で判断している?
楽京都日記: 創作物に価値はない。なぜならそれは恋だからだ。
極楽京都日記: あなたが有料アプリを買わない理由:無課金厨の愛
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極楽京都日記: やりたいことをするな!楽なことをしろ!
物の価値は誰も知らない。 pic.twitter.com/bGlZK8bwTK— UTUMI Mario 内海まりお (@mariouji) 2016, 2月 10
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