2013年12月3日火曜日

【創作とは時間の圧縮である】:キャラクターの作り方講座。


■創作とは時間の圧縮である。

「創作と言うのは自己表現である」

と言う人もいるが、私はそれは一部であるが全てではないと思っている。
これは特に小説、漫画、映画など物語を作るときの創作についてなのだが。

「そこに登場する人物は、自分の分身である」

そう、それは一部は正解だが、全てではない。
なぜならその物語で出てくる、素晴らしい人物、カッコいい人、美しい人、
超天才、カリスマ性のある指導者。
それらが自分の分身であるというのなら、
その作者はそれらの全てを兼ね備えた、とても偉大な人物であるし。
そうでなくてはならない。
しかし、大抵はそうではない。
等身大の自分を見て欲しいという自己表現なら、それらは全部嘘である。
いや、私は偉大な人物である。
というのなら自伝を出した方がよかろう。

■ここで私が言いたいのは

「作者よりキャラクターの方が強い」

ということだ、偉い、と言ってもいい。
しかし、自己表現を優先する作者はキャラをコントロールしようとする。
そうするとキャラはおのずと作者より弱い存在になってしまう。
作者がトンデモなく偉大な人物ならよいが、
大抵はそうではない。
そうではないものより、弱い、魅力的ではないキャラの動く物語なぞ、
誰が見たいと思うものか。

■ここで冒頭の題目に戻る。

「創作とは時間の圧縮である」

天才のキャラクターがいたとしよう、デスノートのLとかだ。
作者はLと同じくらいの天才性を持っているかというと、そうではない。
作者よりLの方が頭がいい。
漫画内のキャラクターの方が頭が良いのだ。
しかし物語は、Lの言動は全ては、作者が考えなければならない。
それは時に不可能に思える。

■しかし、漫画内の彼がいかに頭脳明晰でも。

作者の私とは「次元」が違うのだ。

まさに、次元。
彼らは物語の中、一瞬の判断で素晴らしい決断を下す。
作者の私はそれを一瞬で思い付く事はできない。
作者は負けてしまうのか?

いや、「時間」はあるのだ。
彼らが決断を迫られるのは一瞬だが、
私は1時間2時間、3日4週間5ヶ月6年と考え続けることができるのだ。
私が描かなければ彼らの時間は動かない。
作者は執拗にねっちりと時間をかけ最前の最高の策を物語に授けるであろう。
結果、物語の彼は天才となりうる!
と、するとやはり、作者よりキャラの方が天才であり優秀なのだが。

もうこれは自己表現などではない。
時間を圧縮することで、私は通常の人間の何倍もの思考と経験をキャラクターに注ぎ込むのだ。

■1次元は線。
2次元は面。創作のキャラクター達が住む世界。
3次元は立体。私達の世界だな。
そして4次元はそこに時間の観念を加えるという。

4次元人は時の流れに縛られることなく、
どの時間軸にも散歩するようにひょいと歩いていけるのだ。

…まてよ。
つまり創作物の作者というものは
4次元人だということなのではないか?

そう、物語を造り始めたそのときから
作者は4次元人に成ったのである。

あはははははは!
うはははははは!
うふふふふふふ。

我は時の超越者!
そぅら、君の身に起こる一瞬先の判断を
5万年かけて思考し、
極上の物語にしてやろう!

…ん?なんだ?
ドゥハハハハハ!
馬鹿め!
時間を超越した4次元人に締め切りなど、ないッ!!
キェーーーー!!!

(第一部完)


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