2014年11月24日月曜日

■言葉で現実は縮小される。

■自分の中にある考えを「言葉」にすると
他人に伝えやすい。
当たり前だが、そうだ。
そして同時に「言葉」にすることで多くのものが削げ落ちてしまうのも事実だ。

必要な情報だけを伝える場合ならそれでいいが。
言葉にすることで本来の内容から変わってしまっていることを意識しなければならない。

■というのを
ニコニコ動画のコメントや、
ツイッターで実況しながらテレビを見ている人
を見て思ったのだ。

見た瞬間に瞬時に言葉にしてしまうと
それは凄く狭いものになってしまっているのではないか?
もくしは映像を見た瞬間に、他人の言葉で「これはこうだ!」と言われてしまって
他の判断をする間もなく、「そうだ!それはそうだ!」と思ってしまっているのではないだろうか?

■音楽の歌詞、これは言葉だが非常に圧縮されていて
人によっていろんな意味に取れる。
でも、それだと意味が分からないと
作文のように出来事と自分の感情を順番に書き連ねたような歌詞が増えて来た。
それは、わかりやすいのだ。
だけど、解釈の余地が無いので
「東京に住む女子大生の恋の歌」だとしたら
恋をする東京に住む女子大生にしか共感されないものになってしまっている。
言葉により限定してしまっているのだ。

■花火大会で写メを取るのに夢中で、実際の花火はあまり見れなかったみたいな。
言葉にすることに必死で、本質が置いてけぼりにされている感じがしたのだ。

■まぁ、もちろん言葉にしなくても良い。なんてことはない。
たいていのことは言葉にして説明したほうが良いのだけど。
たいていの人がパソコンやスマホで打っている「文字」はそれほど「言葉」にする必要ないものな気がする。
そしてその言葉を打ち込むことによって、その状況は限定され。
その時考えていた他のことは打ち捨てられる。

あなたがツイッターに「眠い」と書いたのならば。
その時間あなたは「眠い」だけの状況だったと限定される。
そして自分自身もそれだけだった、と錯覚する。
自分の言葉で自分の本質を取りこぼしてゆくのだ。

■なんて感じで「言葉の使用はご用心」
言葉は現実を小さく固めてしまうものかもしれませんよ。

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