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2014年6月16日月曜日

いいね!の質量。


■フェイスブックの「いいね!」ボタン
良かった記事にコメントを書くかわりに
いいね!ボタンを押す。
このシステムは
他のSNSでも同じようなものが多い。

文章を書くのはちょっと面倒臭くておっくうだけど
好きだという気持ちは伝えたいとワンクリックで
好意を伝えられる便利なものだ。

■しかし、そこでもやっぱり個人個人でそれをどのラインで押すかに
自意識が挟まってくる。
「この程度でイイネを押すと、オレはこの程度で喜ぶ意識の低い人間だと思われるのではないか…」
なんて考える人もいる。
まぁ、しかし押される方からしたら、そんなことなんてひとつも思ってないので
どんどん押せば良いのに~と思う。

■そして逆になんでもかんでも見たもの全てにいいね!を押してゆく人もいる。
こう言う人を前述の意識の高い人が見ると、
「なんて軽いやつなんだ!美意識がないのか!」
と思うことだろう。
だがこれも押される方からすれば、無いよりは全然良いことなのだ。
無いというのは見て貰えてないと同等のことなのだから。

■と、そこでここから本題なのだが。
なんでもかんでも「イイネ」を割と大量に付けて行く人同士でも
その「いいね!の質」が違うと感じる事がある。

2つのタイプがいて

ひとつは
○「クリエイターさんと繋がりたい、ネットの有名人と仲良くなりたい、いいね!を押す事で何か関わった感覚が味わえる、嬉しい!」
って人と

もうひとつは
○「プロデューサーとして将来何か製作を頼む場合クリエイターの人や様々なジャンルの人と繋がっていた方が得だ。ネット使ってコネクションを広げる為にはまずはいいね!ボタンを押す事だ」
と考える人がいるのだ。

この戦略的にお金儲けを目標にいいね!ボタンを押す人を嫌だなーって思う人もいるかもしれませんが。
「いいね!の質」からすると
こちらの最終的にお金目的の人の方が重さがあるし、気持ちがこもっているんですよね。

■これはなんなんでしょう?
目的は両者とも
「相手の力を利用して自分を幸福にしよう」
なのですが、
後者の方が目的が明確で、実行的なんですよね。
そしてもしそれが将来成功したら
いいね!ボタン押された方もハッピーになるという。

目的の重さがそのまま、
いいね!ボタンを押された側の嬉しさに繋がる感覚なのです。

■なんてことをふと、思いました。
そして冒頭でも言いましたが。
自意識が邪魔していいね!を押す事が出来ない人は
永遠に0点なんですよね、自分にとっても相手にとっても。

■「質量のある目的」と「実際的な行動」ですね。



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