■フリクリ プログレ
うーん、まだオルタナ方が良かったっス。
なんというか、弱い!
もう、物語を現代的に再翻訳したというのであれば
現代が弱いということになってしまう。
■オリジナルはなんだかんだで
監督自身の不完全燃焼の青春を
ガソリンで爆発させたような作品なのだが
■プログレ、現代の子供たちをリサーチして
だいたいこんなことで悩んでいて
だいたいこんなことを欲しているのだろう?
とサラッと表面を撫で下ろしただけの感じがして
情熱が足りない!
■もし監督自身の感情もちゃんと乗っているというのならば
監督自身の中心が弱い。
そう、中心がスカスカの感じなのである。
表面上のアニメ感は十分に及第点以上の
素晴らしいものなのに。
中心がコンビニ弁当を食べてユーチューブでアニメを見てる少年の
スカスカ感。
■そして
アトムクスと
ハル子さんと
少年少女たち
これアニメーターの人にとっては
アトムクス=偉大な超天才の監督
ハル子=そこそこ出来る監督
少年少女=下っ端アニメーター
って感じに無意識に投影しているフシがある。
■そしてそこには職人的上下関係の鎖に縛られている。
だからハル子はアトムクスを飲み込むことができない。
ハル子は先生としては無能、洗脳することしかできない。
下っ端は反骨心はあるものの
そもそもの欲望が自分の知っている範囲でしか
望まないので、本人はドロドロしているつもりでも
むちゃくちゃ薄い欲望で吠えている。
■でも、そうであれ
自由であればいいのだが。
いい子ちゃんな”現代”は
折り合いをつけてしまう。
上に手を伸ばすことはせず。
自分自身の内面で折り合いをつけてしまうのだ!
■アホーーッ!!
その程度で納得するなよー!
限界を自分で決めるなボケーーッ!!
くそったれがーーッ!!!(ベジータ)
といった趣で観てしまいましたですよ。
■そう、表面上はもうちゃんとできてるんですよ。
中心を!
中心のマグマを!
にんともかんとも。
■オリジナルの方はデタラメなパワー、
とか言われるんだけど。
感情や目標は至極まっとうなもので
ただ、その目標に向かう実行力が
直線的で暴走的。
それが普通の人にはデタラメに見えてしまう。
ってところなのかにゃー。
■現代の悩みは
「貧乏」
「周りの人の評価を気にする」
みたいな感じで
結局ハル子さんでさえ自分と戦っているだけだものなぁ。
しかし、貧乏はアニメーターとリンクしているのかな?
あぁ、そうだ
世界の崩壊と青春がうまくリンクしていなかった
ってのもありますにゃー。
■そんな感じで、
面倒臭いオタクの感想ですいません。
面白かった人は、それでよし!
むしろ疑うな!
突っ走れ!
■あ、ところでプログレのハル子さんが新谷真弓さんじゃなかったのなんでなの?
特に誰もその理由を話してくれない感じ?
スケジュールの都合?
なんとなく新しい感じでやりたかっただけ?
極楽京都日記: 【映画感想】フリクリ オルタナ【#FLCL】
極楽京都日記: 【映画感想】カメラを止めるな!
フリクリ プログレ pic.twitter.com/LHKP7Zz4pi— 内海まりお関西コミティア順延9/30→10/8 (@mariouji) 2018年10月3日
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