■「電線が消えたら景色がいいで大賞」に載ってる電線のある風景が味があって良い。って話で。
こういう話になると何故か「どちらかを選べ」の対立構造になってしまって。
「両方に美しさがあるじゃないか」と言えない感じなのがイヤン。
自然は美しい。
歴史的建造物は美しい。
ならば電線のある風景を美しいと感じても良いのじゃないのか?
と、まぁそこらへんはもう言うまでもないことなので
ほっておいて。
■これって「古いモノは良い」「新しいものは悪い」って考えなんですよね。
ちょっと前言ってたのだけど「特撮」と「CG」どちらが良いかみたいなね。
もうひとつ上げると「漢方薬」と「化学合成薬」どちらが良いか。
そして「自然の風景」「電線のある風景」どちらを選ぶ、みたいな。
■これら全部「古いモノ」と「新しいモノ」の対立構造なんですよね。
そしてなぜ古いモノが安心するかというと。
完成しているからです。
安定したものとして完成してる。
だから安心。
逆を言えばもうこれ以上進化はしない。
だから安心。
そして新しいモノに不安を感じるのは。
未完成だからです。
発展途上で失敗は必ず起こる。
だから不安。
逆を言えば限界がまだ見えない。
だから面白い。
●特撮:完成された手法。安心。だが新しい驚きはない。哀愁感。
●CG:未完成の手法。発展途上なのでダメな作品も大量に量産される。だが、コンピューターの発展に伴い飛躍的に新しい表現が生み出される。
●漢方薬:副作用が無い。人体に優しい。だがそれに至るまでの膨大な人体実験の結果なので自然のモノが安心なわけではない。毒キノコや大麻も自然のものである。
●化学合成薬:漢方薬との大きな違いは人体実験ができないことである。マウスや動物での実験しか許されないので副作用の判定が難しい。大量の生産が可能。大量の人を救う。
●自然の風景:昔、子供の頃に見た風景。
以上のようにただ、これらの二つの対立は新しいモノと古いモノ
生まれた時代が違うというだけの話で。
ジェネレーションギャプ、世代による感覚の違いと切り捨てても構わないと思う。
本当に必要なのは、あなたに本当に美を感じる心があるのかどうかだ。
美しさに条件なんてない。
あなたが美しいと思えばそれは美しいし。
違う誰かが美しいと思ったものをダメだと批判する権利はあなたにはない。
その理由を聞いてみればよいと思う。
突き詰めて行けば、子供の頃の想い出にゆき当たる気がするのだ。
想い出の中だけで生きるのか、未来に一歩進んでみるのか。
どちらでも構わない。
両方ともやれば良い。
廃墟マニアなんてのはちょうど中間っぽいね。
あと、新海誠なんては現代の風景をノスタルジーに捉えてる。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。