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2023年10月5日木曜日

【映画感想】オオカミの家 La casa lobo/The Wolf House.

■「オオカミの家」観た。

ずっと幻覚を見せられてるようで途中何度か意識を失った。

今見ているものは夢なのだから今私は寝ているのだ、

と錯覚しまうのだ。

怖くなく、

自分の想像となめらかに繋がってしまう。

そして制作の労力を想うと気が遠くなる。

意識がはっきりしたまま夢を描いている。 


■第二次世界大戦後、チリに逃亡したナチスの残党によって設立された

ユートピアを謳うコミューン「コロニア・ディグニダ」

それを外部から見るチリ人にとっては

秩序と規律を重んじる

実にドイツ人らしい立派な共同体に見えたと言う。

しかし実のところ、カルト集団のコミューンにありがちな

拷問や性的虐待、殺害をもって運営されるいびつな集団であった。


■そんなコミューンから逃げ出す少女。


森の中で小屋を見つけ逃げ込む。

そこには人の姿はなく。

子豚が二匹いるだけ。

少女はそこでひっそりと逃げ隠れ暮らすことにした。


そこで起こる少女の幻覚とも言える

生活を異様な描写で描くのだ!


なにこれ!?


■いや、いわゆるストップモーションアニメで

人形をコマ撮りするやつなんだけどね。


■普通に作った人形を動かして撮っていくわけじゃないですか?

それなのになぜかこれは

人形を作るところから始まるのです。

現実の小さな家の中で

藁人形のような人型がコマ撮りで作り上げられてゆく。

そうしてから動く。


■それだけでも異常なのに、

突然、部屋の壁に絵が描かれてゆく。

それはその少女。

壁の絵として動き出す。

壁の中を進みだし話し出す。

もちろんそれは壁に絵を描き撮影し、

それを消し、また少し前に違う絵を描き出す。

アニメーションを壁にペンキで始め出す。


それらのあらゆる表現が滑らかに繋ぎ出され

見ている私は夢か現か幻か、

いったい今何を見せられているのか。

今私は何を見ているのか。

私は今どこにいるのか。

彼女は私なのではないか。


夢ならばなんとも奇妙で恐ろしいモノなのか。


■そうやって描き出される

逃げ出された少女の

小屋での生活は幻想的であるがイビツなのである。

見つけた子豚二匹を家族に見立て

私は魔法使いなのよ、と

豚を人間に変化させる。

そうして幸せな「家族」の生活を送るのだ。


■ただ、彼女はコミューンで生まれコミューンで育った子供。

そこでの常識しか知らぬ。

そこで覚えた家族らしきことのままごとを

幻想の中で行う。


そしてその描写方法はこの異様な

ストップモーションの技法。


脳が狂ってしまう。


■しかし、この監督らがどのようなテンションで制作したかは分からぬ。

私が想像するだけだが。

特殊な異常者が奇妙な情熱で制作した感じでもなく。

だからと言って映画の技法を学んだ職人がテクニックで作った感じでもない。


ほっとくと無限に絵を描き続けてしまうような人が、

通常のテンションで延々と作り続けたのではないかと妄想する。

むしろ、映画内に収めるために脚本をしっかり描いた上で、

はみ出さないように収めた感じだ。


■それでいても、その異常さははみ出て滲み出てては止まらない。


私の妄想と幻覚がシームレスに繋がってしまうのだ。


とても恐ろしくて。

とても愉快。


まるで夢のよう。




『オオカミの家』公式サイト



コロニア・ディグニダ


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