◼️日本の笑いは割と特殊だ。
基本、世界で共通した笑いは
「滑稽な者を笑う」というものだ。
ピエロとかミスタービーンとか志村けんのバカ殿様とか。
悪い言い方をすると
全ての笑いは「人の失敗を笑う」ものだ。
「馬鹿な奴を笑いものにする」
と言っても良いかもしれない。
◼️それだとやっぱり笑いはイジメだ
って話になりがちだが。
あとはそれの見せ方の話で
その見せ方の技術が稚拙だと
ただのイジメになってしまう。
◼️海外の場合は登場人物本人がボケて
「ほら滑稽でしょ?だから観客のあなたは笑っていいんですよ」
と許可を得てから笑う。
この観客が笑うということは
「演者のあの部分が馬鹿だ!」
と観客がツッコミの立場に立つことになる。
それは各人が笑うことに責任を持って
私はこの場面を可笑しく思った、と表明することでもある。
だから変なところで笑うと周りの観客に変な目で見られる。
◼️で、日本の笑いは
そのツッコミが舞台上にいて
「ほら、ここが面白いところです」
「ここ、こう解釈すると滑稽でしょ?」
笑いの位置と笑いの方向性を的確に指示してくれる。
なので繊細な笑いの方向が可能だ。
海外の場合はどうしても多人数にわかってもらわないといけないので
大雑把な笑いになってしまう。
そして逆に日本の笑いの、先鋭的なツッコミは
それを理解できない人にはイジメの構図に見えてしまう。
といった塩梅ではないかなぁ、と思ったりしたのだ。
◼️なので海外は観客のレベルが高い
しかし、それもある程度までで
観客のレベル以上の笑いは出せない。
日本は観客のレベルが低くても
高度な笑いが繰り出せる。
しかしやっぱり高度すぎると
それはイジメとの違いがギリギリになり
日本の笑いに不慣れな人にはイジメに見えてしまうことだろう。
◼️まぁ、そもそもが笑いというのは
「差別を笑う」ものだと自覚しなければならない。
差別を全て悪いモノだ、と封じ込めるよりかは
差別を人の違いとして感じあえる高度な遊びを楽しみたい。
◼️あと、基本的に自分を貶めるギャグをできない人は
笑いのド素人だ。
笑いのレベルがとても低い。
なんてなー。
極楽京都日記: 笑いのセンス
極楽京都日記: お笑い番組が人を救った話。
極楽京都日記: 不安と安心
笑いの種類。 pic.twitter.com/R3ZU3w1BlE— UTUMI Mario 内海まりお (@mariouji) 2017年5月31日
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