■「窓ぎわのトットちゃん」無茶苦茶良かったー!
大人の望む理想の子供がいっさいいないってのが
これほど嬉しいことだとは!
最初っからずっと泣いていた。
物語にありがちな仕草がないことが
こんなにも心地良い!
他人の支配や強制を取り除く人たち!
ひねくれ人間は絶対見ると良いよ
■こんなことしたら大人は嫌がって
そういうことをするんじゃありませんって
怒るんだろうなぁ、絶対こっちの方が楽しいのに。
てな展開が起こりそうな時に
すべてそうならないのだ!
■そういうありがちなところで
視聴者のフラストレーションを溜めて
後で爆発させてカタルシス!
みたいなことをいっさいしない!
■子供にガッツリ向き合う。
しかも優しさとか
上から目線の庇護感で向き合うのではなく。
普通に同じ人間として、
友達くらいの対応をしてくれる。
もう、それだけで泣いてしまうのよね。
■トットちゃんは問題児として転校して
特別学校みたいなところに行くのね。
トットちゃんは多分今でいうところの
発達障害やADHD(注意欠如・多動性障害)なのよね。
うまく言えば天真爛漫。
■そんな人間でも別に問題なく生活できるはずなのだけど。
でも社会は同一的な人間を求めるのね。
同じように行動する人を求める。
それはその方が楽だから。
対応が画一的でマニュアル通りにすればいいから。
だからその範囲に収まらない人間を嫌う。
相手が子供であれば
「それはダメ!こうしなさい!」
と強要する。その方が楽だから。
「それは何故なの?どうしてそうする方がいいの?」
と尋ねても。
「そう決まっているんだから、そうなの!言われた通りにしなさい!」
ってな思考停止の言葉が返ってくる。
そんなシーンが全くないのだ!
素晴らしい!
■自由、それは無秩序ではないのだ。
逆に秩序を作るときに恐怖を与えるのなら
それは支配というものだろう。
皆、無自覚に自由による暴動を恐れ。
支配による閉塞を求めてしまう。
子供を教育するときに罰という恐怖を与えがちだ。
■そんな前提の中、
トットちゃんの真っ直ぐ世界を楽しむ心が
とても輝いてキラめいてニッコリしてしまうのだ。
本当に輝きしかない。
それも大人の望む理想の子供らしさではなく。
あぁ、そう言えば子供の頃はあれが楽しいことだったのだ。
そう思い出せるような喜び。
■なので戦時中になり
雨の中ですれ違った兵隊さんに
「コラッ!呑気な歌を歌っているんじゃない!」
と叱られた時、とてもとても悲しかった。
地獄のような悲しみだ。
世界が恐ろしい。
立派な大人がその恐怖を正しいことだとしている。
■現代の多くの人戦争に反対だと思うが。
この当時は多くの戦争に行かない人は
戦争に賛成していた。
戦争に負け始めて生活が苦しくなってから、
ようやく戦争に反対し始めたくらいである。
それでも戦争に勝てれば良い暮らしが出来ると思ってのことだ。
■トットちゃんはそんな中
「知ったことかーッ!!」
と日々の輝きを謳歌するのである。
なんでお前らの勝手な常識で
私たちの輝きを奪うのか!
邪魔をするな馬鹿!
そんな感じ。
とても嬉しい。
■予告編で見ていた、登場人物全員に口紅やチークがあるの気持ち悪いなぁ、
なんて思っていたが映画全体では全然気にならないところだった。
■そして感動ポルノ的なやっすい御涙頂戴なんでしょ?
なんて思っていたことも全然違った。
俺の輝きで世界を浄化してやる!
くらいの目の座った情念のある映画だったのだ。
とても力強い!
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