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2022年1月29日土曜日

【映画】名付けようのない踊り

「名付けようのない踊り」を観た。


■とても良かった。

田中泯にとってダンスは自己表現ではなく、

世界のありとあらゆるもの翻訳表現だ。

翻訳なので見ればそこらにあるものだから

わざわざ踊りに変換しなくてもよい。

しなくてもよいことをするのは遊びだ。

遊びはとても楽しい。

帰りの足取りが滑らかになってしまう。


■映画というかドキュメンタリーなのだろうか。

ダンサーの田中泯を数年追いかけた映像。


■私が彼を初めて見たのは

誰かが上げてたTwitterの動画だった。

着流しにツバの付いた帽子にスニーカー。

とても軽やかに踊っていて

目を奪われた。


■それから数年後

京都市京セラ美術館(2021,20/3)にて

美術館のイベントで田中泯がパフォーマンスをやるというのを

その場で偶然知って飛び込んで見に行った。


■それは美術館内の庭園での静かな踊りだった。

以前見た軽やかなステップではなく

まるで歌舞伎か能のようなじわじわとした動き。

しかし、それも目が離せないものだった。


何なのだ?

これは一体何なのだ。


■しかし、それとは逆によく分かるのだ。

とても自分が心地良いと思うものと

同じ骨格を持った踊りだった。


そんな感じで映画を観た。


■いろんな場所でいろんな人たちの前で

田中泯は踊る。

その場の雰囲気を踊りで再現する。

そこにあるものを

そこにあった記憶までも

踊りで翻訳し、出力する。


■それは感想文のようなものだ。

こんな場所に行ったのだと、

言葉で無く、踊りで伝えようとする。


変なの。


■だけど、それが面白く

心地良い。


とても素敵な遊びだ。


■それは別に私がやっても良いのだ。

そうすればそれはまた少し違うものとして

出力されるであろう。


同じものを見ても

人の数と同じだけ違うものが出来る。

多種多様なダンスが生まれる。


あなたのそれをキッカケに

私の中の踊りが生まれる。


面白いね。

楽しいね。

そいつはとっても

愉快だね。




■あと、なんか現在は達観したような感じがあるけど。

若い頃は基礎から動けなかったり、

かと思えば尖り過ぎて

リズムに合わせないとか、

人と違うことをしなければならないという強迫観念

的なことに追い立てられたり。

普通の芸術青年の時代もあって

ちょっとホッとした^


■そして福島に行った時の映像。

映画製作者的には

「福島の自然と命をダンスで!」

とか思ってたのだろが

田中泯は廃墟にいた「蜘蛛」を見つけ

「蜘蛛のダンス」を踊った。

とても愉快。


■場の翻訳、七尾旅人とか井上涼がその使い手だと思う。



映画『名付けようのない踊り』オフィシャルサイト

Prime Video 田中泯


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