■とても良かったー!
他の話を足してくるのかと思ったらそのまま続きを描くというね。
ちゃんと元からそういう話だったかのように露伴してるぜ。
最後はイタリア語で「だが、断る」なんだろうなぁ。
ハートウォーミングサスペンス!
■もうますます露伴先生が露伴先生してくる!
漫画の実写化はダメなものが多い、
というこれまでの印象を打ちこわしてくれる!
■そしてこの幸運が襲ってくると言う話。
面白いなぁ。
普通は不幸が襲ってくる話を書きがちなんだけど。
幸福がむしろ怖いという。
■それも理不尽な幸福。
まぁ、もちろんその後の
呪いの精算があるから
恐ろしいと言う話なんだが。
■その呪いには直接関係のない露伴先生が
とばっちりで幸運に見舞われて。
彼自体は呪いを受ける相手を攻撃する手段として
幸福にされているだけなので、
何の精算もないから。
喜んで受けてしまえば良いのに。
彼はそれを拒絶する。
■自分の能力以外の原因はいらないと。
いやー、私だったら宝くじ貰っちゃうねー。
しかし、それが彼らしい矜持なのだ。
カッコいいぜ!
■だけれども世の中に幸不幸はあって、
それは運であるし。
運命であると言うことも出来る。
それも含めてこの世界だけど。
どちらかに偏りすぎるのも危険だ。
運命に翻弄されるのもダメだし。
自分の実力が全てなのだ、というのも意外とダメな気がする。
■それが自分だけに向いている場合は
まぁ、自己責任で自分の好きな様に生きればいいのだが。
その矛先が他人に向くと突然
「お前が堕落しているのは、お前が努力をしてこなかったからだ!」
と映画の冒頭の様なセリフになってしまう。
運命を否定し、個人の頑張りだけが全てだという思考になってしまうのだ。
それはそれで怖いのよね。
■現代はそんな風に考える人が増えている気がする。
世の中は平和で平等が確立されているのだから、
理不尽な不幸など起こるはずはないと。
自分の小さな世界を見ただけでそう思い込んでしまう。
2、3人結果を見て、それが世界の全てと同じだ、と考えてしまう。
頑張れば報われる。
ならば頑張ったけど報われなかった人は
頑張りが足りなかったのか?
その頑張った分だけの見返りは無いのか?
答えは合ったりなかったりする。
なのだが。
これもどちらかに偏った意見を言いがちだ。
■どちらでもない。
どちらとも言えない。
という答えを不安がり。
断然されたきっちり分断された答えを求めがちだ。
安心を求めるために。
自分は正しかったのだ、と思いたいが為に。
だからお前はディオ様にやすやすと肉の芽を埋め込まれるのだ。
極楽京都日記: 【映画感想】岸辺露伴ルーヴルへ行く
極楽京都日記: 【ボールペン絵】2021岸辺露伴は動かない。【高橋一生】
極楽京都日記: 【ボールペン絵】2022岸辺露伴は動かない【高橋一生】
映画ノベライズ 岸辺露伴は動かない 懺悔室 (集英社オレンジ文庫)
#岸辺露伴は動かない懺悔室 pic.twitter.com/mOFhk9zOkU
— 内海まりおG-34まり王:関西コミティア73 (@mariouji) May 24, 2025