■「国宝」すごく嫌な映画だった。
歌舞伎のシステムが人間の邪悪の塊で
とにかく人間が恐ろしい。
でも最後に舞台と人生が同じ場所に
渾然一体として辿り着くのは心地良い。
しかしそれさえも他人の人生を見せ物にして
娯楽として消費しているのだなぁ、
と感じられて嫌な気持ちになってしまう。
■しかし、なによりもっとも大切なのは
糖尿病に気をつけろ!
ということだ!
■いや、いろんな人が凄いとか
美しいとか言っているのは
わかるんですよ。
だけどもそれ以上に嫌な部分が嫌すぎて
吐きそうな気分でした。
多分、悲劇的な部分も他人事としてみれば
困難を乗り越えて芸の極みに辿り着けて良かったねぇ、
と思えるんでしょうが。
■その困難が全部、業界の闇じゃねーか!
ってところで自分も多少なりと
職人的なことをやっているから
思ってしまうのですよねぇ。
伝統芸能に新しい人が入ってこなくて困っているんですよ。
ってそらそうやろが!って話で。
■これ歌舞伎だけじゃなくて。
アニメ業界とか寿司職人とか相撲とか
スポーツ関係とかでも。
ウチはずっと伝統的にこういう感じでやっているで
外部の人間がやいやい言うなや!
みたいな構造的にダメな部分まで
伝統ということにして考えないようにしている。
■そして基本的に職人気質の人は
人に教えるのが極端に下手!
だからスパルタ教育みたいなものになってしまう。
野球とかもそうだったけど、
今はYouTubeとかで本当に教えるの上手い人が
分かりやすく教えていたりしますよね。
名選手は名コーチにあらず、
って感じで教えるの上手い人は有名選手ではないんですよね。
■いや、歌舞伎は小さい頃から修練を積まないと出来ない芸なんです。
って嘘じゃないですか。
だって、この映画では歌舞伎役者じゃない
普通の役者さんが歌舞伎役者として
ちゃんと歌舞伎を演じてられる。
■というか、あのお爺ちゃんの国宝歌舞伎役者の人
私、あぁこの人は本当の歌舞伎役者の人なんだな、
と思っていたら。
田中泯さんなのかーい!!!
なんやねんあの演技!
本物にしか見えんやろがい!
かっちょいーい!!
■そして若い二人の鬼気迫る美しさ!
少年時代の役の人も凄いよねー!!
そして足を無くしてからの演技と
そこで挟む、その演目!
マーベラス!
■そんな感じで歌舞伎を演じる才能のある人は
探せばこの世にいっぱいいるはずなんですけど。
業界自体がそれを入れないようにしている。
入っても主役は出来ない。
才能があってもダメ。
芸の良さなんて関係ない。
■そんなところに好き好んで入る人は
やりがい搾取に慣れている人で
差別に親しんでいる人だけ。
いや、本当に
差別を差別だと本気で気づかずに
これは伝統ですから?
と真顔で言っているのが怖すぎたんですよね。
映画は激しく美しいんですけどね。
■最後、主人公が老齢になって
栄誉も得た時のインタビューで
「いろいろな困難を乗り越えて今の私があるんです」
とは絶対に言わないのが良かったです。
あの困難は別に芸には全く必要ではないものだし。
むしろあれらがあったから彼が到達するのが遅れたし。
生涯に舞台に立てる回数も減ってしまったのだから。
■あと、職人とかクリエイターで成功した人は
この映画すごく褒める気がする。
それはまさに成功者バイアスなんですよね。
この映画の主人公の様になって
そのまま浮上してこなかった人を
努力が足りなかったからだ、
と切り捨ててしまう人なのです。
なので最悪な気分なんですよ。
あぁん、もう!
■あ、少女漫画的な残酷さなのかもですね。
コンビニとかで売ってる嫁いびり漫画とか
こんなん誰が読むんだ?と思っていましたが。
読む人いるから売ってるんだよなぁ。
悲惨な人の体験を安全なところから見て
同情して泣いてスッキリする。みたいなの。
私は苦手なので。
映画『国宝』公式サイト
極楽京都日記: 【映画感想】名付けようのない踊り
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