2025年6月3日火曜日

【映画感想】岸辺露伴は動かない懺悔室


■とても良かったー!

他の話を足してくるのかと思ったらそのまま続きを描くというね。

ちゃんと元からそういう話だったかのように露伴してるぜ。

最後はイタリア語で「だが、断る」なんだろうなぁ。

ハートウォーミングサスペンス!


■もうますます露伴先生が露伴先生してくる!

漫画の実写化はダメなものが多い、

というこれまでの印象を打ちこわしてくれる!


■そしてこの幸運が襲ってくると言う話。

面白いなぁ。

普通は不幸が襲ってくる話を書きがちなんだけど。

幸福がむしろ怖いという。


■それも理不尽な幸福。

まぁ、もちろんその後の

呪いの精算があるから

恐ろしいと言う話なんだが。


■その呪いには直接関係のない露伴先生が

とばっちりで幸運に見舞われて。

彼自体は呪いを受ける相手を攻撃する手段として

幸福にされているだけなので、

何の精算もないから。

喜んで受けてしまえば良いのに。

彼はそれを拒絶する。


■自分の能力以外の原因はいらないと。

いやー、私だったら宝くじ貰っちゃうねー。

しかし、それが彼らしい矜持なのだ。

カッコいいぜ!


■だけれども世の中に幸不幸はあって、

それは運であるし。

運命であると言うことも出来る。

それも含めてこの世界だけど。

どちらかに偏りすぎるのも危険だ。

運命に翻弄されるのもダメだし。

自分の実力が全てなのだ、というのも意外とダメな気がする。


■それが自分だけに向いている場合は

まぁ、自己責任で自分の好きな様に生きればいいのだが。

その矛先が他人に向くと突然

「お前が堕落しているのは、お前が努力をしてこなかったからだ!」

と映画の冒頭の様なセリフになってしまう。

運命を否定し、個人の頑張りだけが全てだという思考になってしまうのだ。


それはそれで怖いのよね。


■現代はそんな風に考える人が増えている気がする。


世の中は平和で平等が確立されているのだから、

理不尽な不幸など起こるはずはないと。


自分の小さな世界を見ただけでそう思い込んでしまう。

2、3人結果を見て、それが世界の全てと同じだ、と考えてしまう。


頑張れば報われる。

ならば頑張ったけど報われなかった人は

頑張りが足りなかったのか?

その頑張った分だけの見返りは無いのか?


答えは合ったりなかったりする。

なのだが。


これもどちらかに偏った意見を言いがちだ。


■どちらでもない。

どちらとも言えない。

という答えを不安がり。

断然されたきっちり分断された答えを求めがちだ。


安心を求めるために。

自分は正しかったのだ、と思いたいが為に。


だからお前はディオ様にやすやすと肉の芽を埋め込まれるのだ。



映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』公式サイト


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映画ノベライズ 岸辺露伴は動かない 懺悔室 (集英社オレンジ文庫)





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